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解説 墓も仏壇もいらない浄土真宗??

皆さんこんにちは。

ネット上で「墓も仏壇もいらない」と謳われている浄土真宗。

とても衝撃的な内容ですが、いつ誰がどのように述べたのか。

噂では、浄土真宗の僧侶がこのようなことを言っていたと聞いていますが、本当にお墓やお仏壇は必要のないものなのでしょうか?

同じ浄土真宗の僧侶として、私なりに”いらない理由”についての問題を洗い出し、解決に向けた提案をしたいと思います。

お墓とお仏壇の由来

故人様のためにお墓やお仏壇を拝むのが一般的です。

それがなぜ、”浄土真宗では必要ない”という解釈になるのかを書く前に、そもそも”お墓””お仏壇”と何かを改めて確認しましょう。

なお、【】内リンクでは、お仏壇やお墓の購入を検討されている方のみご覧ください。

【本願寺HP よくある質問】

お墓とは

お墓の歴史はとても古く、仏教においては2500年前に開祖のお釈迦様を火葬された際に残されたお骨を納めた塚(ストゥーパ)がはじまりです。

お釈迦様が亡くなられた後、残された人々の為、そして教えを遺すためにお骨は8つに分けて配られ、容器と灰土を合わせて10基のストゥーパが造られました。

日本においては、縄文時代後期から弥生時代に”前方後円墳”が作られて、そこへ有力者が葬られました。

浄土真宗においては、”大谷本廟”という宗祖親鸞聖人のお墓が京都の東山にあります。

【】内リンクではもう少し詳しく解説しておりますのでご覧ください。

お仏壇とは

お仏壇の起源については諸説あります。

古代インドでは、土を積み上げて「壇」を作り、そこを神聖な場所として「神」を祀っていました。

やがて風雨をしのぐために土壇の上に屋根が設けられ、これが寺院の原型といわれています。

日本では、西暦685年3月に天武天皇が「諸国の家毎に仏舎を作り、乃ち仏像及び経を置きて以て礼拝供養せよ」と命じました。

現代のように各家庭にお仏壇があるようになったのは江戸時代の寺請制度からと言われています。

寺請制度とは、その地域にある寺院に村人たちの戸籍管理をさせ、税金を納めさせる制度です。

これにより、村人は檀信徒になることが義務付けられました。

その証として各戸ごとに仏壇を設け、朝・夕礼拝し、先祖の命日には僧侶を招き供養するという習慣が確立したといわれています。

社会が安定し、庶民の暮らしが豊かになってきたことも背景に浸透したそうです。

現代のお仏壇に関する詳細は【】内リンクをご覧ください。

墓も仏壇もいらないと言われるワケ

お墓やお仏壇に対してご理解いただけたところで、本題です。

”いらない”といわれるには何か理由がなければおかしな話となります。

そこで

・根拠となる書物
・”いらない”と思われる理由

について書いていきます。

根拠となる書物

本願寺第三代門主覚如上人の書物に『改邪鈔』(がいじゃしょう)というものがあります。

このなかに

「かつは、本師聖人の仰せに云わく、〈某親鸞閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたうべし〉と云々 これすなわち、この肉身をかろんじて仏法の信心を本とすべきよしをあらわしましますゆえなり。これをもっておもうに、いよいよ喪葬を一大事とすべきにあらず。もっとも停止すべし。」

意訳

「親鸞聖人はかつて〈私が死んだら賀茂河へ捨てて魚の餌にしなさい〉と言われました。これは、仏教の道理では肉体は必ず滅ぶものです。それよりも、阿弥陀如来のご本願により浄土へと往生させていただくことを本意としなさい。ですから葬儀などを貴族のように大事にすべきではありません。そのような考えはやめなさい。」

という文があります。

親鸞聖人自身は、お墓やお葬式の規模・方法などを問題にしていません。

生きている間に、阿弥陀如来の救いに出会い、あずかれた人にとっては、葬儀やお墓など問題にならないことなのです。

”いらない”と思われる理由

根拠となる聖典を確認したところで、次にいらないと思われる理由について書きますが、これは様々な要因があげられます。

おおまかに2点だけお伝えします。

1つめ

・教義的に”必要ない”とされている

今見た『改邪鈔』の文について、確かに親鸞聖人は自分の死後のお葬式やお墓を大事にしなさいということは否定され、それよりも”生前に自身阿弥陀如来のご本願を信受することが大事”とされています。

しかし、阿弥陀如来のご本願を信受する過程に”亡き人を縁とする”ということが挙げられます。

例えば、親鸞聖人が亡くなられた後、弟子や親族によって火葬された後に”大谷本廟”が建立されました。

この大谷本廟は、単なるお墓ではなく親鸞聖人のみ教えを再確認し”阿弥陀如来のご本願に出遭う場所”としての機能も果たします。それは、各家庭にあるお仏壇の機能と同じなのです。

その後、本願寺の原型である”大谷本願寺”となり人々の信仰の地となり発展します。

2つめ

・費用と手間

お墓やお仏壇を新たに迎えるかどうかの判断で一番大きな要因ではないでしょうか。

当寺ブログでも、お墓やお仏壇のデメリットとして

1 費用が高い
2 管理が大変
3 時代背景から承継者がいない

などの記事を書いてきました。

故人様を弔いたいし、仏教はよくわからないけれど拝みたい。

このような気持ちはあっても、それらを実現するには上記のようなデメリットがあり、それが”いらない”という判断に拍車をかけているように思います。

次世代の供養

”いらない理由”について書きましたが、この判断をされる理由として私個人の感覚では

”費用と手間がかかる”
”子や孫に承継させるのが迷惑”
”自分自身はそこまでの信仰心はない”

ということが理由ではないかと考えています。

これらの問題を解消するために、当寺では”永代供養墓”を建立しました。

・従来のお墓より安価
・永代に渡って供養される
・僧侶がお世話をするので手間がかからない

ということから人気となっています。

更に、この永代供養墓を霊園ではなく、お寺の境内に設けることによって、隣接する本堂に参ることができます。

本堂に参るとはどういうことかというと、江戸時代まではお仏壇のない家が一般的でした。

そこで、当時の庶民はどうしていたのかというと、宗派問わず近くのお寺へ参拝していたそうです。

このように”お墓がある場所が、そのまま信仰の場所”となり、亡き人と生きている人、更にはみ教えを繋ぐ場所として機能するのです。

お寺の境内地にある”永代供養墓”は決して時代遅れのものでも、手間隙のかかるものでもありません。

むしろ時代に相応し、次の世代へみ教えを繋いでいく場所なのです。

浄土真宗のみ教えと永代供養の関係性については【】内リンクをご覧ください。



まとめ

いかかでしたか?

浄土真宗においては、”お仏壇やお墓がある場所が、そのまま信仰の場所”となり、亡き人と生きている人、更にはみ教えを繋ぐ場所として機能するとご理解いただけたでしょうか?

この理由により、私は”お墓もお仏壇も必要である”と結論付けています。

ただし、同じように考えていただいていても、実際に費用面や家の事情等を考えるとそうもいかず、結果的に”いらないという判断をせざるを得ない”ということも理解しております。

この問題点の解消として

”お寺とご縁を結び、その境内にある永代供養墓へ供養することが最適である”と考えております。

無論、お寺とのご縁を新たに結ぶにはハードルが高いことも重々承知しております。

その問題を解消しようと幸教寺では健康をテーマとして、縁遠いと思っていたお寺を覗いてみる機会の創出に努めて2021年よりプロジェクトをはじめております。

皆さまに必要とされるお寺を目指して、ココカラ頑張って参ります。

以上、解説 墓も仏壇もいらない浄土真宗??でした。

プロジェクト詳細については【】内をご覧ください。


【100歳まで歩いて通えるお寺プロジェクト】

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早17年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。