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埋葬の歴史をみる

皆さんこんにちは。

いつもブログを閲覧いただきましてありがとうございます。

お盆の時期となりました。日頃はあまり考えないご先祖様のこと、仏様のこと、お墓のことに触れる機会だと思います。

ですので、今回はちょっと志向を変えまして「埋葬」の歴史を書いていこうと思います。

本題に入る前に、埋葬について書きます。

埋葬(まいそう)とは、死者の中に埋めることです。また、埋葬の意義としましては

  • 死者に敬意を表し、死後の世界で再生、往生、復活できるように願う。
  • それらを葬儀時のみならず村単位で継続的に行うならば、埋葬は便利である。
  • 遺体が道端に転がっていると、見栄えが悪いので隠すという意味がある。
  • 遺体をそのまま放置しておくのは、衛生上の観点からよくない。
  • 遺体の復活を恐れ、宗教的な措置をすると同時に物理的に脱出を困難にする。

それでは見ていきましょう。

世界最古の埋葬

まず、埋葬はいつから始まったのか?
このようなことに疑問を持たれる方は少ないかもしれませんが、実は記録がございます。

アメリカの考古学者R・S・ソレッキ博士が、1960年代にイランのシャニダール洞窟で、3万5000年前から6万5000年前の遺骨が発見されました。

その洞窟では、ネアンデルタール人の化石とともに、ノコギリソウやヤグルマギクなど数種類の花粉を大量に発見しました。「このような場所に花粉?」と思い周辺の花粉の量と比べ、化石付近の花粉の量が極端に多いことと、これらの花が昔から薬草として扱われていることから、ソレッキ教授らは「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があった」との説を唱えたそうです。

このシャニダール洞窟の発見には、諸説あるようですが、旧石器時代には他にも死者を弔う為に埋葬されたとされる化石が見つかったこともあり、少なくとも数万年前の人類の祖先とされる人々が死者を弔っていたということは間違いないようです。

日本最古の埋葬

日本で確認されている最古の埋葬は、國學院大學の谷口康浩教授らが、群馬県長野原町の「居家以(いやい)岩陰遺跡」から、ほぼ完全な状態の埋葬された人骨を発掘されました。

放射性炭素年代測定により、縄文時代早期に当たる約8300年前のものと判明。
人骨は膝を折り曲げ、身体を丸めて、人為的に掘った穴の中に埋められていました。
縄文時代に見られる「屈葬」という特徴的な埋葬形式です。

 この遺跡より後の縄文時代には、ムラの中央に集団墓地を設けてその周囲を住居で囲む「環状集落」という形式の集落が出現しています。生活空間に遺体を埋めることで、死をより身近に感じ、亡くなった人とのつながりを大事にしていたと考えられ、それを裏付ける証拠もたくさん見つかっているそうです。
こうした習俗は、古代(弥生時代)日本の神道的思想「穢れ」ケの思想により見られなくなり、次第に死を忌むべきものとして考えるようになって、生活空間から墓地を遠ざけていったと考えられます。

谷口教授は、「これまではこの環状集落以前の縄文人の死生観ははっきりしていなかったのですが、今回、この人骨が見つかったことで、少なくとも8300年前には、環状集落と同様、死者を身近に感じ大切に扱う死生観を持っていたと考えられるようになりました」と語っている。

まとめ

いかがでしたか?
埋葬というのは、その行為自体が集団生活において衛生的、組織的考えのもと行われていたということのみならず、宗教的な高い精神性を古来から持ち合わせていたということです。

しかも、それらはホモサピエンスではなく、ネアンデルタール人から行われていたということです。ここからみて私たちの祖先は、数万年前から既に現代を生きる私たちと何ら変わりはなかったのではないか?という考えを彷彿させます。

特に興味深いのは、集落の中心地を墓地にするということです。
死をより身近に感じ、私の命もまたいつかはこうなるのだと連想させ、また傍に埋葬することによって死者との距離をも身近なものにしていた祖先にただ頭が下がるばかりです。

今回は埋葬の歴史についてでした。

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。