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誰でも簡単!これが幸せの方程式

誰でも簡単!これが幸せの方程式

皆さんこんにちは。

以前、「これから人生を豊かに生きたい方へ」と題してブログを書きました。

この記事では、私たちの苦しみの原因はいったい何なのか?という苦しみの理解からスタートし、解決のための実践法としてマインドフルネス瞑想や豊かに生きる為の考え方を仏教的観点からご説明しました。

今回の記事では、「幸福論」あるいは「幸福学」というジャンルの学問的な視点から”どうしたら幸せになれるのか?”について解説していきます。

幸せの歴史

「どうしたら幸せになれるのか?」

仕事や学業などに追われて、私達は自分自身の人生の最大欲求である”幸せ”についてゆっくりと考える時間がないように思います。

あるいは、家に帰って自室で幸せについて考えることはあっても”幸せとは具体的にどのようなものなのか”とわからなくなって考えをやめてしまうのではないでしょうか。

それもそのはずで、”幸せ”という状態や感情”は単に計測器などを使って数値化できるものではないからです。

ただ、問題である”幸せとは何か”については、実は古代ギリシャから議論されてきました。

歴史的変遷といえば大げさですが、ここでは古代と近代の2つまで絞ってご紹介します。

古代ギリシャの哲学

学生の頃、世界史の時間で古代ギリシア哲学について学ばれた記憶があるかもしれません。

哲学は、英語で「フィロソフィー」といい、語源は古典ギリシア語の「フィロソフィア」に由来します。

直訳すれば「知を愛する」「愛知の学」という意味で、文学のみならず自然学(物理学)や数学を含む学問や学究的営為の総称です。

当初、哲学のテーマは”自然”でしたが、次第に”個人”へと向けられるようになりました。

この考え方の背景は、当時アレクサンドロス大王による東方侵略戦争により、ギリシャの文化と東側のオリエントの文化が混ざりました。

それによって、古代ギリシャ人のアイデンティティは揺らぎましたが、その一方でより広い世界の価値観に触れ、個人的な生き方や考え方が注目されました。

この時期をヘレニズム期といいますが、このような背景が古代ギリシャにおいて「どのように生きるべきか」という関心を集め、そこから3つの学派が生まれました。

1.キュニコス派

キュニコス派はアンティステネスが開祖で、”本当の幸せは世間的な幸せの先にある”と考え、世間的なあらゆる欲求はいらないと説きました。

どういうことかというと、富・権力・名声などの世間的欲求を所有していれば、それを維持管理したり増やしたりすることに労力を伴います。

また、それらが他人によっていつ奪われるやもしれません。

このように、所持することによって生じる不安や不満が発生し、生活に支障をきたす。

これでは、幸福になることは到底できません。

そこで、”最初から所有しなければよい”ということから乞食のような生活をして幸福を目指していました。

2.ストア派

ストア派はゼノンが開祖です。

ゼノンの師はキュニコス派のクラテスなのでキュニコス派と少し似ています。

キュニコス派では、世間的欲求を捨て去ることが幸福への道であると説いていましたが、実はそのための努力すらも放棄していました。

一方、ストア派では欲望に負けることなく規則正しい生活をし、理性で徹底的に律して努力するという禁欲主義でした。(ストイックの語源)

富・権力・名声・地位財といった世間的欲求を律し(パトス)、ありのままの自然に任せる(ロゴス)ことが幸福への道であると説きました。

私たち人間は、根本的に”足りるということを知らない”ように設計されています。

それは、かつて人間が狩猟生活をしていた時代が長いからです。

”いつ何時食事にありつけるかわからず、いつ何時生活を脅かす存在に出くわすかわからない”ような状態が数万年も続けば人間の本能やDNAは多少変化します。

その時代の影響により、今ではそのようなリスクも少ないにも関わらず、私たちは足りることを知らないのです。

だからこそ、理性をもってして徹底的に整える必要があるということです。

この辺、悟りをひらく前のお釈迦様の考えによく似ています。

3.エピクロス派

エピクロス派はエピクロスが開祖です。

快楽主義(かいらくしゅぎ)という考え方を説きます。

快楽主義は、簡単に言うと「人生の目的は快楽で、これこそが最高に善い」という考え方です。

誤解のないように先にお伝えしますと、ここでいう”快楽”は”無制限に好き勝手欲求を満たす”という意味ではありません。

エピクロスにとって”快楽”とは”平穏な心の状態”という意味で、寒さや飢えなどの人間にとって苦痛である状態が取り除かれたことを指します。

上記2つの学派と似ていますが、キュニコス派では何もしない乞食の生活を送るという点で、ストア派では苦行によって生活するという点において支障をきたします。

しかし、エピクロス派では極端な姿勢をせず、その中間である質素な生活を送っていました。

必要以上に欲を出すとそれに振り回されて生活や心が乱されますが、規制しすぎるとそれもまた心を乱されます。

ある程度、自然に任せながら慎ましく生きるのが幸福への道だということです。

悟りをひらかれたお釈迦様はこの考え方に非常に近いと思います。

また、現代ではミニマリストや少欲知足の考え方に通じているのではないでしょうか。

近代イギリスの哲学

18世紀に興った産業革命は、蒸気機関の開発による動力源の刷新により、綿織物の生産過程におけるさまざまな技術革新、製鉄業の成長などの工業化が一気に進んだことです。

工場制機械工業や、蒸気船や鉄道の発明による交通革命なども学生時代に学ばれたかと思います。

この時代から現代にいたるまで、”資本主義体制”という営利目的の会社や個人事業主によって貿易や産業が制御(コントロール)されるようになりました。

現代では当たり前な経済的・政治的システムの自由な活動です。

社会の授業のようになっていますが、ここから幸福に関する考え方が出てきます。

量的功利主義

産業革命時代に功利主義(こうりしゅぎ)という考えがジェレミ・ベンサムによって提唱されました。

功利主義とは、簡単に言えば”個人の利益や幸福の追求を積極的に認める”ということです。

方法や手段よりも結果に重きを置く(結果主義)ともいいます。

例えば、「苦労して手に入れた1000円よりも、楽して稼いだ10000円のほうがよい」という考え方です。

では、ベンサムの言う結果とは何かというと

快楽計算によって算出された数値(結果)が最も大きくなる行為こそ”正しい行為”で、その行為は”社会全体で最も多くの人が最も多くの幸福を得るようでなければならない”ということです。

快楽計算は

・快楽をもたらす行為が+(快楽量)
・苦痛をもたらす行為が-(苦痛量)

快楽量-苦痛量=幸福量

この数値(量)が最も高い行為が正しいとされ、多くの人が最も幸福であることが社会や国の幸福であるとしました。

多くの人の快楽が満たされた社会が最も幸福であるという理想的な考えです。

これを”最大多数の最大幸福”といいます。

高度経済成長やバブル経済といった昭和的な価値観です。

質的功利主義

昭和的な価値観であった量的功利主義ですが、これに対して質的功利主義を提唱したのがジョン・スチュアート・ミル(J.S.ミル)です。

J.S.ミルの父は、ジェレミ・ベンサムの友人でもありました。

そのような環境から直接ベンサムに功利主義を教わっています。

しかし、本人曰く21歳のときに「精神の危機」に陥り、興味・意欲の著しい減退とうつ状態となりましたが、文芸・美術・音楽・演劇といった当時のロマン主義に触れたり、妻の支えもあって無事乗り越えました。

この時の経験からか、量的功利主義のいう物理的な個人の快楽(幸福)よりも、精神的な個人の快楽(幸福)のほうが重要であるというようになりました。

これを”質的功利主義”といいます。

ベンサムは”多くの人の快楽が満たされた社会が最も幸福である”と量的、あるいは物質的な面で功利主義を主張しました。

一方、J.S.ミルは質の向上こそが精神的な快楽(幸福)の道であるといい、低いレベルでの物理的快楽よりも、質の高い精神的快楽を求めることが重要であるということから「満足した豚であるよりは、不満足な人間であるほうがよく、満足した愚か者よりも不満足なソクラテスであるほうがよい」という言葉を遺しています。

最後にもう1つ彼の名言をご紹介しておきます。

「幸福になる唯一の道は、幸福ではなく何かそれ以外のものを人生の目的に選ぶことである。」

幸せの処方箋

「どうしたら幸せになれるのか?」

これについて、古代ギリシャと近代イギリスの歴史をご紹介しました。

人が幸せになる方法は様々ですが、現代では”幸せ”に関する原因(どうすれば幸せになれるか)が少しずつ解明されています。

ここでは経済学者のロバート・フランク『幸せとお金の経済学』という本の地位財・非地位財をご紹介します。

地位財

地位財(ちいざい)は、周囲との比較で満足を得るものをいいます。

具体的には、所得や貯蓄、役職などの社会的地位、家や車などの物的な財産です。

目に見えて比較しやすく、ほとんどの人がこの地位財によって一喜一憂しているのではないでしょうか。

特に現代ではSNSの普及により便利になった反面、どこでも容易に他人と地位財の比較ができてしまうので、これが現代人の幸福度の低さに起因しているのではないでしょうか。

古代ギリシャでは3つの学派がそれぞれ物理的欲求である地位財を避けていました。

また、ベンサムの量的功利主義では”多くの人の快楽が満たされた社会が最も幸福である”と説いていますが、物質的に豊かになった現代社会においてこの考え方は既に陳腐化しています。

実際に日本でも生活に関する調査をしていますが減少傾向です。

詳細は【】内をご覧ください。

非地位財

非地位財(ひちいざい)は、他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるものです。

健康、自由、愛情、人間関係、社会への帰属意識などです。

いずれも”お金で買うことはできないもの”です。

しかも、”人間社会において絶対に必要なもの”でもあります。

全てにおいてではありませんが、物質的に豊かになった現代社会において”物質が人を幸せにする”という考えは陳腐化しました。

それよりも、これからの未来は”心の充足”こそが”幸せへの道”といえるでしょう。

古代ギリシャでは3つの学派でもこちらの非地位財を重要視していました。

J.S.ミルは音楽や絵画などを見て精神的不調を克服したという経緯から質的功利主義を提唱しました。

アナタはどちらの道を選びますか?

まとめ

いかがでしたか?

今後、日本社会は間違いなく減少の一途を辿ります。

それに伴い物質的な欲求を目指すことによる幸福への追求はますます困難になるでしょう。

しかし、古代ギリシャ人や近代イギリス人の偉人たち、『幸せとお金の経済学』の内容を見てきましたが、どれも非地位財の獲得(心の欲求を満たす)こそが幸福への近道であると伝えてくれています。

ただ、漠然と”幸せになりたい”と思うだけでは幸せにはなれません。

J.S.ミルも「幸福になる唯一の道は、幸福ではなく何かそれ以外のものを人生の目的に選ぶことである。」と言いました。

”幸せを求める為に生活をするのではなく、今ある生活の中に幸せがあることに気づく”ことが重要であると。

私は、日ごろから法務などのお参りや法話、瞑想、100PJなどを通じて同じことをお伝えしています。

このブログが皆さんの”幸せ”を少しでも育むきっかけとなりますよう願っております。

以上、誰でも簡単!これが幸せの方程式でした。

仏教にご興味のある方は【】内もご覧ください。


【仏教基礎入門 お釈迦様が伝えたかったこと】

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。