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これから人生を豊かに生きたい方へ

これから人生を豊かに生きたい方へ

日常生活を送る中で、私たちは様々な問題に直面しています。

「一生懸命努力しているのになかなか成果が出ない」

「家庭、職場での人間関係がうまくいかない」

「今後の人生が不安」

どれか一つでも当てはまるようであれば、是非読んでください。

これらの問題を解決する方法、もしくは解決のヒントとなるものが”仏教”にはあります。

皆さんの中では、仏教=宗教というイメージが99%あるのではないでしょうか?

人を洗脳し、献金させ、人生をめちゃめちゃにされるというイメージの強い宗教ですが、仏教に関しては少なからず仏教学という学問として研究され、その教えの中から哲学や道徳的なエッセンスを取り出し日本の教育や文化、歴史に影響を与えて続けてきました。

今回は、2500年前より伝わる仏教(お釈迦様の教え)を生活に落とし込められるよう解説します。

心を整える

仏教開祖のお釈迦様に皆さんはどのようなイメージを持っていますか?

厳しい修行に、漢字の羅列と大変難しいイメージがあると思います。

しかし、その教えそのものは大変シンプルです。

ここでは、お釈迦様の教えの基本となる部分について解説いたします。

すべては執着

執着(しゅうじゃく)とは

1つの物事にとらわれて、そこから離れられないことを指します。

私たちは日常生活の中で気づかぬうちに様々な物や人に執着しながら生きています。

財産、地位、容姿、人間関係など枚挙にいとまがありませんが、それらはすべて煩悩(ぼんのう)によるものです。

この煩悩は、「私の心をわずらわせ悩ませるもの」という意味ですが、人間の欲求から生まれています。

お釈迦様は、この「煩悩が人間を苦しめている原因だ」と説かれました。

これを、一切皆苦(いっさいかいく)といいます。

心が満たされない原因

煩悩(以下、欲)について説明しましたが、ここで早くも疑問が浮かぶかと思います。

それは「欲があるから頑張れるし、生活ができているのではないか?」という疑問です。

確かに、「休日は○○したいから仕事を頑張る」「○○したいからお金を稼ぐ」「○○したいから勉強する」など、私たちの日々の生活を向上させてくれるのは欲に他なりません。

しかし、その欲が「いったいいつまでにどのくらい必要なのか?」ということまで考える人は少ないのではないでしょうか。

それもそのはず、これには人間の”心の働き”が関係しています。

そもそも人の心は「欲求が足りていることを知りません」

欲求を満たすことができたら、また新たに欲求を生み出すようにできています。

だからこそ厳しい生存競争に打ち勝つことができるのですが、それゆえ常に欲求に支配されています。

支配されることによってどうなるのかと言えば、「満たされた欲求を失う不安が生じる」「別の何かが欲しくなる」ということです。

手に入れた分だけ失うものは多く、満たされた欲求も数日たてば消え失せ、次の欲求の為に邁進します。

誰もが何一つ失うことなく無限に手に入れればよいのですが、残念ながらそのようなことは不可能です。

すると「欲しいのに満たされない」「将来、失うかもしれない」という不満と不安が生じ、満たされないという悩みの原因となるのです。

少欲知足の教え

お釈迦様は欲求を水や火に例えられています。

時に際限なく湧き出て、時に激しく燃えているようだと。

当たり前ですが、欲求は人間が生存する限りつきまといますので、欲求を満たそうとすることによって生じるこの苦しみから逃れるすべはありません。

そしてお釈迦様は考えられました。

「欲求の根源を知り、向き合えばよいのだ」と。

それが仏の教えなのですが、ここでは実践しやすいものを1つあげます。

それは、少欲知足(しょうよくちそく)です。

少欲知足とは、文字通り「少ない欲求で足りることを知りましょう」という教えです。

先ほど、「欲求がいったいいつまでにどのくらい必要なのか?具体的に考えている人は少ない」と書きましたが、まさに少欲とは「今自分が必要としている欲はどれくらいか?」を考えることです。

その必要量さえわかれば、無駄に努力をする必要もないですし、不満になることもありません。

2010年頃から「ミニマリスト」という人たちが注目されはじめました。

持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人たちのことです。

まさに、このミニマリストの生き方こそ少欲知足の実践者といえます。

本当に必要な物だけを持つことによりかえって無駄がなくなり、心の余裕が生まれ豊かに生きられているのです。

お釈迦様も悟りを開かれてからは、最小限の衣服と1つの鉢だけしか持ちませんでした。

豊かな人生を歩む

人生を楽に生きる方法について、欲求をコントロールする方法をお伝えしました。

自分の心の働きを知り、本当に必要なものが何かを見極めることが重要であると。

しかし、世の中は自分が原因となる悩み以外のものも当然あります。

それは自分以外のもの、環境や人が原因となるパターンです。

次はこれらを解説します。

すべては変化する

諸行無常(しょぎょうむじょう)という教えがあります。

「あらゆるものは常に変化し、変わらないものは何一つない。」という教えです。

この考え方については何となくご理解いただけると思います。

目の前に果物などを置いて数日間観察すれば、徐々に変色し異臭を放ち腐ります。

強固なコンクリートビルでも数百年そのままにしておけば風化していきます。

人間も100年間で大概の人は死んで骨となります。

あらゆるものは見には見えずとも、少しずつ変化するのがこの世の中です。

しかし、私たちはそれらをコントロールしようとします。

例えば

「いつまでも若々しくいたい」「今のままでずっと所有していたい」などです。

そのために努力をするのですが、時間は残念ながら平等に経過していきます。

それを受け入れられずにいると不満が溜まります。

ただ、これはよい方にも作用します。

嫌な職場、人間関係なども変化し続けるので、大局的に見れば嫌なことがずっと続くということもないのです。

このように、世の中の事象をありのままに見つめ、受け入れることができると不満は解消されます。

自分を赦す

理想と現実とがかけ離れているとき、私たちは落胆します。

夢を描くのはよいことですが、大きすぎると負担にしかなりません。

「身の程を知る」という言葉は古代ローマより存在しますが、まずは周りではなく自分自身を見つめ、そこから逆算してプランニングするのがよいでしょう。

コンプレックスなどで自分自身を見つめることが怖くてできない方がいます。

自分自身の生い立ちや生活において何らかの支障があり、自分に自信を持てず悩んでおられます。

外的な要因によって発生したコンプレックスを治すことは、環境の変化も必要なため容易ではありませんが、少なからず自分自身の心に目を向けてみることはできます。

向き合う過程で、できない自分、嫌な自分、どうしようもない自分。

色々とマイナスな感情が湧き出ると思いますが、そんな自分を赦(許)してあげましょう。

できない自分、どうしようもない自分は、本当にできないのかどうか理由や原因を探し、それでもできないようならいい意味で諦めましょう。(諦めるとは、物事を明らかに見たという仏教用語)

それがあなたの”個性”なのです。

嫌な自分は、自分は嫌でも周りは嫌だと思っていないことがあります。

少なからずそれを知って付き合ってくれているのですから、まんざらでもないのではないでしょうか。

いずれにせよ、自分で自分を認め赦してあげることが、今後の人生を歩むうえで非常に重要です。

自分自身1人がこの人生の主人公です。

誰も変わってはくれません。

そんな頼れる自分をコンプレックスで傷つけるのはいったんやめましょう。

新たな人生観が見えてくるかもしれません。

マインドフルネス瞑想

さて、色々と心の問題点について触れてきましたが、ここでは実践方法について書きます。

その実践方法とはマインドフルネス(瞑想)です。

仏教では座禅(ざぜん)が有名ですが、ヨガも瞑想の種類に属します。

瞑想とは、物事を客観的に、自分の知識や経験に頼ることなくありのままにみることです。

ありのままにというのは、人は執着によって悩むということや、諸行無常という世の中の事象を観察することです。

そうすることによって冷静な判断ができるだけでなく、不要な思い込みも防ぐことができるのです。

瞑想は数千年続く人類の英知そのものです。

マインドフルネスは生活の中で実践することができます。

耳を澄まし、聴こえてくる音に集中する「マインドフルリスニング」

食べ物に意識を向け、味わい、そして感謝する「マインドフルイーティング」

近年は積極的に行動し、なおかつ成果をあげる考え方が主流ですが、これがいかに難しいかは既にご承知の通りだと思います。

どうして?何のために?明確な答えがあるなら頑張ればよいだけですが、そんな周りの同調圧力に流されて生活しているとそれだけで大変なストレスです。

仏教では、“独りで生きる”ということを伝えています。(一夜賢者経)

社会的に孤立しろという意味ではなく“周りに流されない個という存在を確立し、今という時を大事に生きる”という意味です。

自分自身を見つめなおすためにも瞑想をしてみましょう。

以下、【】内は当寺院で実践している瞑想会となります。

すべては縁による

人と人との繋がりをご縁といいます。

ひとりぼっちで生きるなら別ですが、人間社会で生きる以上は、このご縁というものを大切にしなければなりません。

最近はアナログでなくてもオンライン上でのデジタルなご縁を結ぶこともできますね。

最後に、ご縁について解説します。

あらゆるものは縁によって成り立つ

皆さんはどうやって生まれ育ちましたか?

ご先祖様がいて、祖父母がいて、両親がいて、自分が生まれて、家族に育ててもらい、友人や先生と出会いながら育ったはずです。

様々な人が様々な要因で現在があります。

これは人だけでなく、現象や物にも当てはまります。

例えば現象なら

「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざ。

強い風によって砂ぼこりがたつと、砂ぼこりが目に入ったために盲人がふえ、その人たちが三味線で生計を立てようとするため、三味線が多く必要になり、三味線の胴に張る猫の皮の需要も増え、そのために猫がへり、その結果、増えた鼠が桶をかじるので桶屋がもうかって喜ぶというものです。

現代の価値観では理解するのが難しいかもしれませんが、いっけん原因が結果と無関係そうにみえても様々な要因によって生じているということです。

ちなみに、海外ではバタフライ効果といい、仏教では諸法無我(しょほうむが)といいます。

世界共通の概念であることがわかります。

ご縁がもたらすもの

ご縁についてご説明しました。

人同士の様々な要因が良くも悪くもご縁を生み出し、過去、現在、未来へと繋がっています。

それらは私たちが好きに選ぶことはできません。

原因と結果は必ずあるものの、不確定要素に満ちた世界を今日も生きています。

実感のない人がほとんどですが、いつ何時何が起こるかわからないうえ、生き物として限られた時間を生きています。

しかし、その「当たり前のような時間が当たり前ではなかったと自覚したとき」人生は想像以上に貴重で豊かなものとなるでしょう。

おわりに

いかがでしたか?

人間の本能的な欲求から生じる苦しみを煩悩といいます。(一切皆苦) 

また、煩悩以外にもあらゆる事象によって、物事が良くも悪くも生じることをお伝えしました。(諸行無常)

そして、これらを取り巻く環境はご縁であるともお伝えしました。(諸法無我)

煩悩をコントロールし、世の中の本質を理解する方法として、少欲知足(ミニマリスト)と瞑想(マインドフルネス)をご紹介しました。

これらを実践できたとき、「悩みの根本的原因は自分自身の中にあった」と知り「当たり前のような時間が当たり前ではなかった」と感じられて、人生は想像以上に貴重で豊かなものになります。

もし、この記事でわかりにくい所や詳しく知りたいところがありましたらお問い合わせください。

以上、これから人生を豊かに生きたい方へでした。

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早17年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。