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神様大集合!意外と知らない七福神

神様大集合!意外と知らない七福神

皆さんこんにちは。

先日、大阪市浪速区にある今宮戎神社にて舞楽「登天楽」を奉納してきました。

戎(えびす)又は恵比寿様は日本全国で親しまれている神様です。

笑みを浮かべたお顔に大きな耳たぶ、両手には竿と鯛を持っていますが、戎様はお一人ではなく船に乗った七福神として描かれているのをよく目にされるのではないでしょうか。

実は、その船に乗っている七福神はそれぞれインド、中国、日本の神様たちで、これら三国の神様が同船しているということをご存じでしたか?

今回は、知っているようで知らない七福神について詳しく書いていきます。

七福神の由来

七福神の七福は、仏教経典の『妙法蓮華経』(みょうほうれんげきょう)普門品(ふもんぼん)や『仁王般若経』(にんのうはんにゃぎょう)受持品(じゅじほん)の中にある”七難即滅 七福即生”(しちなんそくめつしちふくそくしょう)という仏教用語に由来しています。「あまたの災難の中から七つ代表的な災難をたちまち消滅し、転じて多くの福徳を与える」 という考え方です。

この七つの滅難と福徳のご利益に七人の神様をあてて信仰が生まれていきました。

以下、七難と七福について解説します。

七難とは

典拠である経典は日本に古くから伝わっている『仁王般若経』『法華経』です。

どちらも護国三部経(ごこくさんぶきょう)に数えられ、仏教の教えに基づいた政策(鎮護国家)のため盛んに用いられました。

災難にも数多く種類がありますが、大きく七種類に分けたものを七難と言います。

七難の内容は経典によって内容が変わっていますが、意味的に重複しているものもあります。

『法華経』では

1.火難 火による災難
2.水難 水による災難
3.羅刹(らせつ)難 人をたぶらかし、血肉を喰らう鬼による災難
4.王難 国王の命令に背いたために起こる災難
5.鬼難 死霊による災難
6.枷鎖(かさ)難 投獄される災難
7.怨賊難 盗賊などの悪人による災難

『仁王般若経』では

1.日月失度難 太陽や月の異常現象による災難
2.二十八宿失度難 星の動き異常気象による災難
3.大火難 火災による災難
4.大水難 水害による災難
5.大風難 台風による災難
6.亢陽(こうよう)難 日照りなどで不作が続く災難
7.賊難 盗賊に襲われる災難

七福とは

1.律義 礼儀や義理を守り正直なこと
2.有福 富み栄えること
3.威光 人が自然と従うさま
4.愛嬌 にこやかでかわいらしいこと
5.大量 作物がたくさん獲れること
6.人望 周りの人から寄せられる信頼と尊敬
7.寿命 長生きできる

七福神について

七福神の利益について”七難即滅 七福即生”(しちなんそくめつしちふくそくしょう)を解説しました。

この”七つの難を滅して七つの福を生む”という考え方に基づき、室町時代の末期に近畿地方で広まりました。

ただ、七人の神様それぞれ最初からいたわけではなく、時代と共に少しずつ変化しています。

ここでは、七人の神様の由来、ご利益、歴史を書いていきます。

恵比寿

恵比寿様は七福神で唯一日本の神様です。

漢字については、恵比寿、戎、蛭子、恵比須と色々ありますが、どれも”えびす”と読み平安時代より信仰されています。

そのご利益は多岐にわたり商売繁盛、大漁・五穀豊穣、除災招福、漁業・航海安全といわれています。

主に海に関連する神様として崇められていますが、それには諸説からなる理由があります。

1. イザナギとイザナミの子供である蛭子(ヒルコ)説

イザナギ(男神)イザナミ(女神)の夫婦神との間に生まれた蛭子ですが「わが生める子良くあらず」と言われ、海に流されてしまいました。この”蛭子が恵比寿様と同神である”という説が室町時代より言われています。

2. クジラ説

古来より日本の海岸では「寄り鯨」・「流れ鯨」というような座礁した鯨が「えびす」と呼ばれ信仰されてきました。

座礁した鯨はその一帯が潤うともいわれ、恵比寿が身を挺して住民に恵みをもたらしてくれたものという理解もされていました。

3. 事代主神(ことしろぬし)説

国譲り神話の中で、大国主命(おおくにぬし)が「国譲りを受けるか」と建御雷神(たけみかづち)に迫られ、大国主命は「息子である事代主神に聞いてくれ」といいます。返事を聞こうと事代主神の所へ行ったとき、事代主神が釣りをしていたということから、事代主神が竿を持った恵比寿様と同神であると江戸時代に言われるようになりました。

ちなみにこの「釣りして網せず」という姿が、暴利を欲しない商人のあるべき姿に通じると解釈され商売繁盛の神様として人気を集めた理由です。

また、後述しますが大黒天と大国主命は同一視されるので、大黒天と恵比須が親子であると言われるようになりました。

大黒天

大黒天(だいこくてん)はもともとインドの神様です。

古来インドより伝わるヒンドゥー教の最高神の一人「シヴァ神」の別名「マハーカーラ神」が、仏教の守護神として取り入れられて日本に伝わりました。

マハーは「大いなる」、カーラは「黒、暗黒」を意味し、世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れるとされています。

マハーカーラ神はシャマシャナという森林に住み、 不老長寿の薬を持ち力づくで人を救済するとされています。

日本での大黒天は、「大黒」と「大国」の音が同じ「だいこく」であることから先ほど記した神道の大国主命と混同されてしまいました。

現在描かれている大黒天がマハーカーラ神と違って柔和な表情を見せているのはこのためです。

仏教の守護神と日本の神様という二面性から、各地の寺社仏閣でお祀りされるようになりました。

日本に伝わった当初の大黒天は台所の神様として食物・財福の神様として信仰されました。

これは、平安時代に日本天台宗開祖の最澄(さいちょう)が毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒(さんめんだいこく)を滋賀県にある比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の台所の守護神として祀ったのが始まりだといわれているからですが、実はインドでも厨房・食堂の神様とされていました。

手に持っている打ち出の小槌の”つち”は”土”の意で、米やあらゆる農作物と生み出す”大地”を意味しているとして、財福や農業の神様として信仰されるようになったのです。

当時、農産物は商業においても重要な商品であったため、転じて商売繁盛のご利益をもたらす神様となりました。

毘沙門天

毘沙門天(びしゃもんてん)は別名を多聞天(たもんてん)ともいい、甲冑(かっちゅう)をまとい、右手に矛(または宝棒)・左手に宝塔(ほうとう)知恵のシンボルを持った七福神の中でただ一人の武神です。

もともとは、ヒンドゥー教の”クべーラ”という財宝神であり、同時に北方の守護神でもあったのですが、時代を経て中国に伝わると守護神的側面が強くなり、武神としての外見と性格をそのまま残して、を仏教を守る四天王の一人「多聞天」(たもんてん)に数えられるようになりました。

日本では、鞍馬寺(くらまでら)が毘沙門天信仰の発祥ですが、悪霊を退散し財宝を授ける神として信仰を集めます。

なお、毘沙門天を信仰すると十種の福を得ると言われています。

1. 無尽の福(尽きることのない福)
2. 衆人愛敬の福(皆から愛される福)
3. 智慧の福(智慧により物事を正しく判断する福)
4. 長命の福(長生きする福)
5. 眷属衆太の福(周囲の信頼に恵まれる福)
6. 勝運の福(勝負事に勝つ福)
7. 田畠能成の福(田畑を豊作に導く福)
8. 蚕養如意の福(家業が成功する福)
9. 善識の福(良い教えを学ぶ福)
10. 仏果大菩提の福(悟りを得られる福)

七福神の中でも得られる福の数はトップであり、この世に存在するほとんどの問題を毘沙門天の福によって解決できるといえそうです。

弁才天

弁才天(べんざいてん)は、もともとはヒンドゥー教において「サラスバティー川」の水神でしたが、仏教に取り入れられ学芸・弁舌・財・富・戦勝を司る女神となりました。

ヒンドゥー教最高神の一人「梵天」(ぼんてん)の妻としても知られています。

仏教や神道などの多神教においては、夫婦揃って信仰される場合が数多くあります。

奈良時代に日本古来の神様の一人「宇賀神」(うがしん)とご利益が重複していることから同一とみなされ、福徳・財福神としての性格が強調されるようになりました。

現在、弁才天を「弁財天」と書くことが多いのはこのためです。

姿は、宝冠をかぶり、唐服姿で琵琶を弾く優美な姿のほか、先ほどの宇賀神と合わさった姿の弁才天は顔が二つ、手が八本という「宇賀弁才天」というの姿もあります。

また水の女神ということから、日本の海の女神「市杵嶋姫命」(いつきしまひめ)とも同一視されたため、島や港湾などの水辺などで多くお祀りされています。

芸術や学芸、縁結び・財運以外のご利益も多い女神です。

福禄寿

福禄寿(ふくろくじゅ)はインドのヒンドゥー教や仏教、日本神道の神ではなく「道教」(どうきょう)の神様です。

道教は、老子(ろうし)の思想である老荘(ろうそう)思想に基づき信仰され、不老長寿の方法論である神仙(しんせん)思想、御札などを用いた呪術、風水、仏教など中国古来の思想をふんだんに取り入れた中国固有の宗教です。

その道教の神様の一人が福禄寿で、三つの星が神格化された神様とされます。

三つの星とは、福星・禄星・寿星のことです。

福星は、木星(十二次では歳星)とされ、多くは裕福な官服を着た黒髪の姿で三者の中心に描かれています。

禄星は、緑色の服装で、豊かさを表す金銭や嬰児を抱いた姿で描かれることが多いです。

寿星は、南極老人星(カノープス)ともいい、現在の福禄寿の容姿はこの寿星の姿で表現されています。

また、寿星は老子が天に昇ってこの寿星になったと言われていたり、後述する寿老人であるという言い伝えもあります。

福禄寿という名前が表しているのは、星だけでなく道教で追い求められる次の3つの願いです。

福「幸福」 血を分けた実の子に恵まれる幸福
禄「給与・財宝」身分を得て財産を築く封禄
寿「長寿」健康に長生きする長寿

福禄寿のご利益は、まさに名前が表す3つの福そのものです。

寿老人

寿老人(じゅろうじん)は、福禄寿と同じ道教の神様です。

前述したように福禄寿と同じ三星のうち寿星である老人南極星(カノ―プス)が神格化された姿とされ、ゆえに福禄寿と同一神であるとされています。

しかし、現在の七福神では違う神様として扱っています。

福禄寿は鶴、寿老人は鹿と共に描かれていますが、中国では鶴・鹿・桃を伴うことによって、福・禄・寿を象徴する三体一組の神像や、コウモリ・鶴・松によって福・禄・寿を具現化した一幅の絵などが作られ広く用いられたため描かれています。

ちなみに、一時期福禄寿と同一であったために七福神から外されたこともあります。

その場合、「猩猩」(しょうじょう)という中国に由来する伝説上の動物が入ります。

人語を解し、赤い顔をした人間のごとき容姿で、酒を好むとされていて、ジブリ作品の「もののけ姫」に登場したことによって有名になりました。

寿老人は、団扇で人々の災難を払うことから、病気平癒・無病息災のご利益があるとされています。

また、手にもった桃は長寿を授けるという意味もあります。

布袋

布袋(ほてい)は、七世紀頃中国に実在した僧侶だと言われていますが真相は定かではありません。

釈契此(しゃくかいし)というのが本来の名前ですが、頭陀袋(ずだぶくろ)という僧侶が仏具や衣、食事を入れている袋を背負っていた姿がトレードマークとなり、僧侶のことを布袋と呼ばれるようになったようです。

ただ、この釈契此という人物はいくつか不可思議な逸話を残しています。

例えば、彼が雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかったとか、人の吉凶を言い当てたとか、死んで埋葬されたにもかかわらず数日後に他の州で見かけられたなどです。

また、死ぬ間際に「弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり。時時に時分を示すも時人は自ら識らず」という遺言をしたと『景徳傳燈録』(けいとくでんとうろく)に記されています。

このようなことから中国では、布袋は仏教の弥勒菩薩(みろくぼさつ)の生まれ変わりであるとして崇拝されるようになりました。

弥勒菩薩は、仏教開祖のお釈迦様が亡き後、五十六億七千万年後に現世に降り立つとされている方です。

しかし、布袋に生まれ変わったように遠い未来ではなく、近い将来に現世に降り立ち人々を救済しつつ、世の中を理想郷へと変えていくという信仰(下生信仰)が当時の中国で流行しました。

中世以降、布袋になぞらえた太鼓腹の姿が弥勒菩薩の姿形として描かれるようになり、寺院の主要な仏堂に安置されるのが通例となりました。

ただ、日本においては鎌倉時代以降に弥勒菩薩への信仰というよりも、布袋のふくよかな外見から広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどる「福の神」と考えられ、所持品である頭陀袋は「堪忍袋」と見なされるようになりました。

布袋が寛大で度量のある心の持ち主であったことから、今日では千客万来・笑角来福、夫婦円満・子宝で家運隆盛がもたらされると信じられています。

まとめ

いかがでしたか?

ヒンドゥー教の神様が日本の神様と同一視されたり、仏教の神様が日本の神様と同一視されたり、道教の神様が同一視されたりと、少し複雑になってしまったかもしれません。

しかし、外国の神様を受け入れた古来日本人の寛容性には頭が下がる思いです。

自らの難を避け、福をもたらそうとする開運厄除や除災招福は、人間の本質的な願いなのかもしれません。

このブログがそんな皆様の願いの一助となりますよう最後にご利益の一覧表を載せておきます。

恵比須 商売繁盛、大漁・五穀豊穣、除災招福、漁業・航海安全
大黒天 五穀豊穣、商売繁盛、出世開運
毘沙門天 大願成就、武道成就、家内安全、開運厄除
弁才天 財福授与、縁結び・恋愛成就、学問成就、諸芸上達
福禄寿 長寿長命、招徳人望、立身出世、子孫繁栄
寿老人 無病息災、病気平癒、家庭円満、福徳智慧
布袋 千客万来、商売繁盛、夫婦円満、子宝

以上、【神様大集合!意外と知らない七福神】でした。

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。