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浄土真宗の永代供養とは?

はじめに

当寺院では常時、永代供養をさせていただいておりますが、たまに「浄土真宗のみ教えにおいて永代供養の意味がよくわからない」とのご指摘をいただきます。
少し仏教に詳しい方であれば当然のことでしょうが、仏教はその宗派によって考え方や作法が違うので、一般的にはわかりにくいこともあろうかと思います。

そこで今回は、浄土真宗における永代供養について書いていきます。

永代供養は追善供養?

近年、永代供養=追善供養というように
先祖を弔うことが永代供養であるという考え方が定着してきております。
ですのでまず、一般的な「永代供養」に対する認識から確認していきましょう。
故人様、ご先祖様のために遺族や子孫が行う供養のことを、追善供養(ついぜんくよう)といいま
す。これは、故人様が死後の世界で安らかな眠りにつけるよう、子孫が代わって善事を行うという
考え方です。

何故、このようなことをしなければならないのかと言うと、仏教全体では死んでからすぐに天国な
いし浄土へと行けるわけではないからです。人間は死ぬと、「死出の旅」というのがはじまります
その旅の道中、死者は様々な試練を受けますので、安らかには眠れません。
最も有名なのが、三途の川を渡るということと、閻魔大王に裁かれるというこではないでしょうか
これら旅の試練を少しでも緩和する為に、生きている人が亡くなった人の冥福を祈って供養するの
です。故人様のために善を積むことで、故人様がより良い世界に生まれ変われるよう応援すること
になるとともに、その善い行いや徳が自分自身にも返ってくると考えられています。

具体的には、以下の行いを「供養」と呼びます。

・故人の命日(月命日)に行う月参り

・忌日法要、年忌法要
四十九日など、亡くなった命日から数えて7日ごとに行われる法要を忌日法要、一周忌、三回忌など年ごとに行われる法要を年忌法要といいます。

・仏壇に手を合わせたり、お墓参りをしたりする
故人やご先祖を偲び、冥福を祈るという日々の行為は立派な追善供養です。
お一人でもご家族だけでも出来る、最も身近な供養を忘れないようにしたいものです。

要するに、「供養」の1つの方法として追善供養があるといえます。
「永代」とつくのは、供養する子孫がいない場合に備えて、あらかじめ永続的に供養を行うためにこう呼ばれています。お墓を守る人や、善行功徳を積む子孫がいなくても、永代に供養が届くようにするという考え方です。

浄土真宗は供養しない?

古来より仏教は、厳しい修行と戒律によって成仏できるという考え方が主流でした。
先ほども書いたように、修行などをして善行功徳を積まないと「死出の旅」で大変な目に合うわけですね。
しかし浄土真宗では、阿弥陀如来より生前、信心を賜ることにより死後、極楽浄土へ導かれると教えています。
「どのような悪人でも阿弥陀如来によって救われる」と信知するものは亡くなった後すぐに極楽浄土にたどり着くため、追善供養は必要とされていません。

以上、いままでの考え方をまとめると

・亡くなってから遺族による追善供養を行うことで故人様は成仏できる。
・浄土真宗は亡くなった時点で阿弥陀如来の他力により浄土へと往生し成仏される。
(その為、追善供養は必要ない)という、一見矛盾したものとなってしまいますね。

ここをよく、「浄土真宗では永代供養の慣習がない」とか「浄土真宗は故人や先祖を供養しない」といった見解があるのですが、次はこの点についてみていきましょう。

浄土真宗の供養の意味とは

永代供養と同義的扱いを受けるものに永代経があります。
「浄土真宗で永代供養をしてもらった」という場合は、この永代経を指していることがあります。
永代経とは、永く伝えられてきた教えを、子孫である私たちも教えていただき、引き継いでいこうという考え方です。

つまり、「亡き人を縁として、私たち自身が仏教に遇う」ためのものです。

ですが、読経してもらうのただを聴くだけというわけではありません。
そうすることで仏縁を繋ぐのです。

仏縁とは、いままであまり仏教に縁の無かった人が、 故人を縁として、仏教に触れる機会なのです。 そしてその、教えを聞く宗教空間としてお寺や自宅の仏壇、お墓があります。
そのような、非日常の空間を通し、 故人を縁として、自分だけではなく、後の世代も仏縁に出遇うことをいいます。

これが永代経の意味です。
ですので、整理いたしますと「亡き人の供養」と「生きている私たち自身の為の供養」という2つの意味を持っていることとなるわけです。

この意義に則り、永代供養を主体とした法要を永代経法要といいます。
故人をしのび、 「教えが永代に伝わるように」とういう願いを持って勤められる法要です。
同時に、子や孫にわたって教えを聞くことを願って勤める法要という事になります。

最後に

中国唐時代初期の僧で、浄土真宗で言う七高僧の一人、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)は、 その著『安楽集』の中でこのような言葉を残しています。
前(さき)に生れんものは後(のち)を導き、後に生れんひとは前を訪(とぶら)へ
(『浄土真宗聖典 註釈版』P.474)

この言葉は、親鸞聖人も、『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』の終わりに引用されておりますので現代語訳を載せます。

「前に生れるものは後のものを導き、後に生れるものは前のもののあとを尋ね、(仏法が)果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。
それは、数限りない迷いの人々が残らず(仏に)救われるためである」
(現代語版聖典『教行信証』P.646)

ということです。
何でもそうですが、大切なことやモノは、 先代から代々伝わっています。
末永く経が読まれることで、後の代へも仏縁が続くのです。

永代供養とは、末永く永代に子どもや孫の代やもっと後の代にまで仏法が届き、そのさまをお浄土にいらっしゃる仏様やご先祖様は喜ばれることをいいます。
亡くなられた方のみならず、生きている私が仏の教えに遇うことが本当の供養になるのです。
ですから、「永代供養したから終わり」ではなく、仏法を聴きにお寺へお墓へどうぞご参拝ください。

以上、浄土真宗の供養についてでした。

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早17年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。