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【ご案内】四天王寺 聖霊会(拡充版)に出演いたします

【ご案内】四天王寺 聖霊会(拡充版)に出演いたします

六時堂改修記念、伝統が息づく特別な一日

令和8年4月22日(水)、四天王寺にて勤修される「聖霊会(しょうりょうえ)」 に龍笛奏者として出演いたします。

今年は、六時堂の改修終了を記念し、例年とは異なる拡充版の聖霊会として営まれます。

四天王寺の聖霊会は、仏教儀礼の中で舞楽が用いられる代表的な法要です。

古来、雅楽・舞楽は単なる音楽ではなく、仏法を荘厳するためのものとして用いられてきました。

舞楽は単なる芸能を超え、祈りのかたちとして令和の時代にもなお受け継がれています。

聖霊会とは何か

聖霊会は、聖徳太子のご遺徳を偲ぶ法要として古くより続いてきたもので、四天王寺においては、仏教と音楽・舞が一体となった独自の法要形式が発展してきました。

もともと太子ご在世中は「法華会」として営まれていた法要が、ご遷化後、「聖霊会」として継承され、その中で舞楽が重要な役割を担うようになったと伝えられています。

雅楽は単なる芸能ではなく、仏法を荘厳するための音楽として位置づけられ、四天王寺はその中心的な伝承拠点の一つとなってきました。

六時堂を巡る「散華大行道」と一曲

本年の大きな見どころの一つが、「散華大行道~一曲」 の挿入です。

法要の途中、衆僧と楽人が六時堂の周囲を巡る行道が行われ、その最後に石舞台上で、二人の楽頭が打楽器を打ち鳴らしながら舞う「一曲」が披露されます。

私はこの「一曲」および「抜頭」の主管を務めさせていただきます。

入調舞楽「抜頭」

法要後には、お楽しみとしての入調舞楽が行われます。

今年は特別に二曲、

●抜頭(ばとう)
●貴徳(きとく)

が奏舞されます。

抜頭 嘆きと激しさを湛えた舞

聖霊会において奏される「抜頭」は、その登場からして特徴的で、松明や提灯に導かれながら右方の楽舎より現れ、左方の鼉太鼓の周囲を巡り、舞台へと進み、舞い終えると再び右方へと退く。

この一連の動き自体が、古来より伝わる厳格な故実作法です。

■ 多様に伝わる由来

抜頭の起源については、古典にもさまざまな説が残されています。

『教訓抄』では、唐の皇后が嫉妬によって鬼となり、閉じ込められていた楼を破って現れた姿を舞にしたと伝えます。

しかし、皇后の名も作者も明らかではなく、確かなことは分かっていません。

一方で『旧唐書』には、西域において猛獣に父を殺された子が、その仇を討った姿を舞にしたと記されています。

さらに『楽府雑録』では、父の亡骸を探し山をさまよう姿。喪失と悲しみを体現した舞として語られています。

■ 表現されるもの

こうした諸説に共通するのは、怒り・悲しみ・執念といった強い感情の発露です。

それらは、単なる異形ではなく、人間の根源的な苦しみを象徴しています。

極楽世界を模した聖霊会の場においては、この激しさは相容れぬ感覚がありますが、私的には上記物語を背景として、そのまま放置されるのではなく、仏前に捧げられることで浄化されていくのではないかと感じています。

当日の流れ

● 12時30分頃 道行開始

● 13時頃   六時堂前 石舞台にて法要・舞楽開始

● 18時頃〜  入調舞楽「抜頭」「貴徳」

● 19時頃   終了予定(例年より延長)

長時間にわたる法要となりますが、特に夕刻からの入調舞楽は、一日の締めくくりとして大変見応えのある場面です。

千年を超えて続く「供養のかたち」

四天王寺の聖霊会は、単なる行事ではなく、仏教儀礼・音楽・舞が一体となった日本独自の文化の結晶です。

長い歴史の中で幾度も変遷を経ながらも、その本質は変わらず、今日まで受け継がれてきました。

その場に立ち会うことは、過去と現在、そして未来へと続く時間の中に身を置くことでもあります。

六時堂改修を経て、新たな節目を迎える今年の聖霊会。

その特別な場に、楽人として関わらせていただくご縁に、深く感謝しております。

ぜひ現地にて、音と舞、そして祈りが一体となる時間をご体感ください。

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。