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つながりは収入の4倍、未来の幸せを予測する:仏教×ウェルビーイングでつくる「戻れる場」

つながりは収入の4倍、未来の幸せを予測する:仏教×ウェルビーイングでつくる「戻れる場」

はじめに:がんばっているのに、満たされない

  • 「もう少し収入が増えたら落ち着くのに」
  • 「環境が変われば楽になるのに」


そう思いながら、毎日を走り続けている人は少なくありません。

実際、やることは増える一方です。

仕事、家族、地域、将来の不安


デバイスやAIの発展により、気づけば“効率よく回すこと”が上手になって、息をするように頑張れてしまう。


でも、心のどこかが追いつかないのではないでしょうか。

ふと立ち止まった瞬間に、「これだけやっているのに、なぜ満たされないのだろう」と感じることがある。

そのようなご相談も幸教寺では増えてきております。

そこで一つ、視点を変えてみたいのです。


近年のウェルビーイング研究では、私たちが信じてきた常識に小さな修正を迫ります。


たしかに収入は大事です。

けれど、未来の幸福を大きく左右するのは、収入以上に人とのつながりだ、というのです。

しかもこれは、「気持ちの問題」や「道徳論」ではありません。


2.7万人を22年間追いかけた大規模研究が、収入の変化よりも、社会的つながりの変化のほうが、翌年以降の幸福の変化を強く予測する可能性を示しています。

そして、この話は仏教やお寺とも深くつながります。


お寺は本来、「教えを説く場所」であると同時に、「人がつながり直す場所」でもありました。


気軽な挨拶、顔を合わせる安心、見守り、支え合い。

そうした小さな関係の積み重ねが、人生の土台を静かに支えてきたのだと思います。

このシリーズでは、ウェルビーイング研究の知見を土台にしながら、仏教の視点と照らし合わせて、現代の“満たされなさ”の正体と、そこからの道筋を一緒に探っていきます。

基となる理論と提唱者:社会資本(ソーシャル・キャピタル)

社会資本(ソーシャル・キャピタル)は、1人の提唱者が完成させた単一理論というより、100年以上かけて 「意味づけが更新されてきた概念」です。

大きく4つの系譜で押さえると整理しやすいです。

1) 用語としての最初期:L.J.ハニファン(Hanifan, 1916)

1916年、米国の地方教育(コミュニティと学校)文脈で「social capital」を用い、地域の善意・仲間意識・相互扶助のような“人間関係の資源”を指しました。

2) 社会学で理論化:ピエール・ブルデュー(Bourdieu)

1980年代、社会学の文脈で「社会資本」を ネットワーク(関係)に埋め込まれた資源として理論化し、経済資本・文化資本など他の資本概念と並べて位置づけました。

3) 合理的選択・制度論的整理:ジェームズ・コールマン(Coleman)

1988年頃から、社会資本を 人々の行為を“促進する”社会構造上の資源として整理し、教育・コミュニティ・制度の議論に接続しました(「資本」という比喩を、実証研究に使いやすくした功績が大きい)。

4) 政治学・公共政策で大衆化:ロバート・パットナム(Putnam)

1990年代以降、社会資本を 信頼・規範・ネットワークなどの「社会的なつながりの質」として提示し、地域社会や民主主義・健康・幸福の議論に一気に広げました。

ざっくり言えば「信頼」「つながり」「助け合い」の資源です。

お金のように貯金通帳には載りませんが、人生の困りごとが起きた時に、支えになる力です。

近年の大規模研究では、同じ人を長期に追跡した上で、収入の変化よりも、社会的つながりの変化のほうが、将来の幸福を強く予測するという結果が示されています。

根拠:22年・2.7万人の追跡で見えたこと

モフセン・ジョサンロー(Mohsen Joshanloo)氏は、オーストラリアの既存の大規模パネル調査データ(2万7千人以上を22年間追いかけた)を分析し、社会的つながりの変化は、収入の変化よりも、生活満足度・ポジティブ感情・ネガティブ感情を ”2〜4倍ほど強い”と予測しました。

もちろん収入も大切です。

ただ、「幸福を増やしたい」という目的だけで見るなら、収入を上げるために孤立を深めるより、”つながりを育てるほうが効きやすい”という示唆が得られます。

【】内、論文リンクです。

【Social Capital vs. Financial Capital as Predictors of Future Subjective Well-being: A 22-Year Within-person Analysis】

心理学と仏教を対比:つながりは“足し算”ではなく“土台”

心理学は「つながりが幸福に効く」と言います。

仏教はもっと根本から、「私たちは関係の中でしか生きられない」と見ます。

仏教の言葉でいえば”縁起”(えんぎ)です。

人は単独で成立しているのではなく、無数の条件に支えられて今ここにいる。

この見方に立つと、つながりは“あると良いもの”ではなく、生きる土台そのもの だと分かります。

逆に言えば、つながりが薄くなると、心身が弱るのは「本人が弱いから」ではなく、条件が痩せてしまった結果でもあります。

だから、必要なのは精神論よりも、つながりが自然に育つ“場” です。

やさしさは「気持ち」ではなく「縁」で続く

「やさしくしよう」と思っても、疲れている日はうまくできません。

「ちゃんと支えよう」と決めても、忙しさが続けば続きません。

仏教は、人間の弱さを前提にします。

だからこそ、善意に頼らず、”縁(条件)を整える”ことを大切にします。

・挨拶できる場

・役割がある場

・休んでも戻れる場

・誰かが気にかけてくれる場

・話しても否定されない場

こういう“縁”が整うと、やさしさは習慣として、自然に回り始めます。

幸教寺を例として:この研究を「場づくり」に置き換えると

私たちが行っている活動は、それぞれ形は違いますが、共通して「つながりの縁」を整えるようになっています。

・いく寺保健室:困りごとが現実になる前に、安心して相談できる

・100歳体操:運動を通じて顔を合わせる“継続”が、つながりを育てる

・健康麻雀:趣味などの共通よって会話が生まれ、役割ができる

ココカラYOGA:心身が整うと、関係にも余裕が生まれる

ココカラ相談所:意味づけが進むと、孤独がほどけやすくなる

XI.fitness:習慣と自信が育つと、人との関係にも踏み出せる

つながりは「友だちを増やす」ことだけではありません。

安心して居られる関係、戻って来られる場所、それが幸せを支えます。

まとめ:幸福を上げたいなら、「収入」より「場」

収入が増えても、孤独が深まれば、心は痩せやすい。

一方で、つながりが育つと、困難があっても回復しやすい。

ウェルビーイング研究が示す方向と、仏教の縁起のまなざしは、不思議なくらい同じ場所を指しています。

人は関係の中で生き、関係の中でほどけていく。

繋がりを処方するこの活動。

もし「参加するだけでなく、支える側として関わってみたい」と思われたら、まずは次のどれかからで十分です。

・活動を見学する

・好きな時に触れてみる(受付・設営など)

・運営のアイデアを一つ出してみる

理念を共有できる人が増えるほど、場はやさしく強くなります。

一緒に育てていきませんか?

いつでもお待ちしております。

活動理念については【】内リンクも併せてご参照ください。

気になることがあればお気軽にお問い合わせください。

【仏教×ウェルビーイングという設計思想】

【お問い合わせ】

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。