年末の煤払いと仏教 周利槃特の物語に学ぶ「心の整え方」
12月に入ると、寺院では一年を締めくくる伝統行事「お煤払い」が行われます。
特に、西本願寺(浄土真宗本願寺派)では毎年12月20日に勤められ、堂内を清め、新たな年を迎える心構えを整える大切な一日です。
煤を払い、埃を落としながら、私たちは自然と「今年一年の歩み」を静かに振り返ります。
しかし、本当に整えるべきは“家の埃”だけでしょうか。
仏教では、掃除を 「作務(さむ)」 と呼びます。
禅宗の寺院では、掃除や庭の手入れこそが心を調える修行の中心とされてきました。
大切なのは、これは単なる掃除ではなく、「一年の垢を落とし、心身を整える行い」として受け継がれてきたということです。
「掃除をする」は「心を磨く」ことと同じだと説かれているのです。
その象徴となるのが、
お釈迦様の弟子 周利槃特(しゅりはんどく) の物語です。
周利槃特に学ぶ、心の“ほこり”の落とし方
周利槃特は、お釈迦様の弟子の中でも「記憶力が弱く、一偈(いちげ)すら覚えられなかった」と伝えられています。
兄である摩訶槃特(まかはんどく)は聡明でしたが、弟の周利槃特は何度教えられても経文を覚えられず、苦しんでいました。
その姿を見たお釈迦様は、彼に箒(ほうき)と塵取りを授け、ただ一言、
"「塵を払え、垢を掃え」"と示されました。
周利槃特はこの言葉を唱えながら、ただひたすら掃き掃除を続けました。
日々、掃除をする中で自身を見つめ続けるうちに、彼はふと気づきます。
「落とすべき“汚れ”とは、家やお堂の埃ではなく、自分の心にこびりついた“貪・瞋・癡”(貪り、怒り、愚痴)という煩悩そのものなのではないか。」と。
この気づきが転機となり、周利槃特はついに修行者の最高位である“阿羅漢”(あらかん)にまで至ったと伝えられます。
これは「努力すれば覚えられる」という話ではありません。
むしろ、
● できない自分を否定しない
● 目の前の一つのことを継続して丁寧に行う
● その作業を通して心を見つめ直す
という “等身大の修行” が、私たちの心を整えていくという教えでしょう。
兄である摩訶槃特(まかはんどく)は聡明でしたが、弟の周利槃特は何度教えられても経文を覚えられず、苦しんでいました。
その姿を見たお釈迦様は、彼に箒(ほうき)と塵取りを授け、ただ一言、
"「塵を払え、垢を掃え」"と示されました。
周利槃特はこの言葉を唱えながら、ただひたすら掃き掃除を続けました。
日々、掃除をする中で自身を見つめ続けるうちに、彼はふと気づきます。
「落とすべき“汚れ”とは、家やお堂の埃ではなく、自分の心にこびりついた“貪・瞋・癡”(貪り、怒り、愚痴)という煩悩そのものなのではないか。」と。
この気づきが転機となり、周利槃特はついに修行者の最高位である“阿羅漢”(あらかん)にまで至ったと伝えられます。
これは「努力すれば覚えられる」という話ではありません。
むしろ、
● できない自分を否定しない
● 目の前の一つのことを継続して丁寧に行う
● その作業を通して心を見つめ直す
という “等身大の修行” が、私たちの心を整えていくという教えでしょう。
作務とは、心を澄ませる「静かな仏道」
江戸時代の禅僧である白隠禅師の書『遠羅天釜』(おらてがま)では、
「動中工夫勝静中百千億倍」
(どうちゅうのくふうは、じょうちゅうにまさること、ひゃくせんおくばいす)という言葉があります。
日常生活の忙しい中で心を静かに保つことの方が、静かに座禅することよりもはるかに価値があるという意味です。
静かな環境で心を落ち着かせるだけでなく、動き回る日常のなかでもぶれない心を養うことが、より高度な修行であることを示しています。
草をむしり、廊下を拭き、庭を掃くなど、その繰り返しの中で、
● いまここに集中する心
● 執われを離れる心
● 物を大切にする心
が養われます。
これは、私たちが連想する厳しい修行(回峰行、滝行)とは対照的ですが、
“日常そのものを仏道とする智慧" です。
周利槃特が掃除で悟ったように、私たちもまた、物を整えながら”心のほこり”に気づいていくのかもしれません。
「動中工夫勝静中百千億倍」
(どうちゅうのくふうは、じょうちゅうにまさること、ひゃくせんおくばいす)という言葉があります。
日常生活の忙しい中で心を静かに保つことの方が、静かに座禅することよりもはるかに価値があるという意味です。
静かな環境で心を落ち着かせるだけでなく、動き回る日常のなかでもぶれない心を養うことが、より高度な修行であることを示しています。
草をむしり、廊下を拭き、庭を掃くなど、その繰り返しの中で、
● いまここに集中する心
● 執われを離れる心
● 物を大切にする心
が養われます。
これは、私たちが連想する厳しい修行(回峰行、滝行)とは対照的ですが、
“日常そのものを仏道とする智慧" です。
周利槃特が掃除で悟ったように、私たちもまた、物を整えながら”心のほこり”に気づいていくのかもしれません。
年末のお煤払い 「もの」と「こころ」の大掃除
寺院のお煤払いは、単なる清掃ではありません。
● 一年の歩みを静かに振り返る
● 溜まった想いを撫でながら手放す
● 新しい年を迎える準備として心を整える
そんな心の所作がそこにはあります。
とりわけ”西本願寺の12月20日のお煤払い”は、約400年以上続く行事であり、多くの方が本堂の空気の澄みわたる瞬間に手を合わせます。
私たちも、大掃除という形で「煤」を払いながら、ふと立ち止まって今年一年の心の変化に目を向けてみてはいかがでしょうか。
● 一年の歩みを静かに振り返る
● 溜まった想いを撫でながら手放す
● 新しい年を迎える準備として心を整える
そんな心の所作がそこにはあります。
とりわけ”西本願寺の12月20日のお煤払い”は、約400年以上続く行事であり、多くの方が本堂の空気の澄みわたる瞬間に手を合わせます。
私たちも、大掃除という形で「煤」を払いながら、ふと立ち止まって今年一年の心の変化に目を向けてみてはいかがでしょうか。
浄土真宗では「煩悩は断たない」 だからこそ整う心がある
浄土真宗では、
”煩悩は断てない、しかし煩悩とともに救われる”と説かれます。
親鸞聖人は『正信偈』に、
能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
(阿弥陀仏によって一念の信心がおこるとき、煩悩を具えたままで涅槃に至る)
と示されました。
除夜の鐘のように煩悩を“断つ”ことを目的とせず、
むしろ「煩悩具足のまま救われていく」私たちの姿をそのまま見つめ、気づかされる教えです。
だからこそ、お煤払いも「煩悩をなくす」という儀式ではなく、
● “ああ、今年もいろいろあったな”
● “心にほこりが積もる一年だったな”
このように、そのままの私”に気づき直すための時間といえるでしょう。
”煩悩は断てない、しかし煩悩とともに救われる”と説かれます。
親鸞聖人は『正信偈』に、
能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
(阿弥陀仏によって一念の信心がおこるとき、煩悩を具えたままで涅槃に至る)
と示されました。
除夜の鐘のように煩悩を“断つ”ことを目的とせず、
むしろ「煩悩具足のまま救われていく」私たちの姿をそのまま見つめ、気づかされる教えです。
だからこそ、お煤払いも「煩悩をなくす」という儀式ではなく、
● “ああ、今年もいろいろあったな”
● “心にほこりが積もる一年だったな”
このように、そのままの私”に気づき直すための時間といえるでしょう。
整理整頓と心の片づけ——周利槃特が教えてくれること
年末の片づけが苦手だという方は多いと思います。
周利槃特のように、一つの場所、一つの動作を丁寧に行ってみるだけで十分です。
● 今日は机の上だけ
● 明日は仏壇まわりだけ
● 掃除をしながら、心に溜まった“ほこり”に気づく
そんな小さな一歩が、心を澄ませてくれます。
周利槃特のように、一つの場所、一つの動作を丁寧に行ってみるだけで十分です。
● 今日は机の上だけ
● 明日は仏壇まわりだけ
● 掃除をしながら、心に溜まった“ほこり”に気づく
そんな小さな一歩が、心を澄ませてくれます。
幸教寺ではご相談を承っています
遠方にお墓がある方、お墓じまいや永代供養を考えている方、ご家族の将来に不安のある方。
年末年始は、家族の話し合いがしやすい時期でもあります。
当寺院では、
● 永代供養
● お墓の引っ越し
● お仏壇・位牌の整理
などの仏事相談を随時受け付けております。
どうぞお気軽にお問い合わせください。
年末年始は、家族の話し合いがしやすい時期でもあります。
当寺院では、
● 永代供養
● お墓の引っ越し
● お仏壇・位牌の整理
などの仏事相談を随時受け付けております。
どうぞお気軽にお問い合わせください。
まとめ 煤を払いながら、心のほこりにも気づく時間
● 煤払いは建物の掃除であり、心の掃除でもある
● 作務の精神は、日常の一挙一動を心の修行として見る
● 周利槃特の物語は、「掃除=心の働きの観察」ということを教える
● 浄土真宗では、煩悩を“祓う”のではなく“気づかされる”
● 年末の整理整頓は、新しい一年を迎える準備である
一年の締めくくりに、どうぞゆっくりと周りを整え、その時間を自分の心と向き合うひとときとしてお過ごしください。
● 作務の精神は、日常の一挙一動を心の修行として見る
● 周利槃特の物語は、「掃除=心の働きの観察」ということを教える
● 浄土真宗では、煩悩を“祓う”のではなく“気づかされる”
● 年末の整理整頓は、新しい一年を迎える準備である
一年の締めくくりに、どうぞゆっくりと周りを整え、その時間を自分の心と向き合うひとときとしてお過ごしください。
投稿者プロフィール
- 住職
- 高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。
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