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【第2回】依経段① 法蔵菩薩の物語と十八願のこころ

【第2回】依経段① 法蔵菩薩の物語と十八願のこころ

(『はじめて学ぶ正信偈』連載 )

依経段の核心に入る 法蔵菩薩とは誰か

第1回では、『正信偈』が阿弥陀仏の願いを讃えた偈文であること、そして「救われるとは何か」という浄土真宗の核心を概観しました。

今回からはいよいよ本格的に 依経段 に踏み込みます。

依経段とは、
お釈迦さまが説いた経典、とりわけ『大無量寿経』を根拠として、阿弥陀仏の十八願(本願)の意味を明らかにする部分 のことです。

依経段の中心に登場する人物が法蔵菩薩です。

『正信偈』はこう始めます。

法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所

覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪

この数行の中に、のちに 阿弥陀如来となる“法蔵菩薩の誓い”のすべてが凝縮 されています。

※【第1回】はじめて学ぶ『正信偈』は最下部にリンクを貼っております。

1.法蔵菩薩の物語 「すべてのいのちが救われる国をつくる」

浄土真宗の根本聖典である『大無量寿経』によると、法蔵菩薩はもとは一国の王子でした。

しかし人々の苦悩を見つめ、出家し修行者となります。

そして教えを乞うため「世自在王仏(せじざいおうぶつ)」という仏さまの前に跪き、合掌しながら質問します。

”「どうすれば、苦しみから離れられない人々を本当に救えるのでしょうか?」”

法蔵菩薩の真剣なまなざしに、尊い願いに、世自在王仏は教えを説かれました。

こうして世自在王仏によって法蔵菩薩は、多くの仏の国土(浄土)を観察することができ、その仕組みを徹底的に学びました。

・どのような行いが人を苦しめるのか

・どのような環境なら人が善い行いを育めるのか

・どのような世界なら、どんな人も漏れなく救われるのか

それをふまえて、法蔵菩薩は

”「すべてのものが悟りに至ることができる国土を建立しよう」”と発願されます。

これが『正信偈』の

建立無上殊勝願 超発希有大弘誓

(こんりゅうむじょうしゅしょうがん、ちょうほつけうだいぐぜい)という二句です。

● 「無上」とは、

この上ない最上のこと。

● 「殊勝」とは、

比類なきすぐれた願いという意味です。

つまり、

”「どんな人でも、煩悩をかかえたまま、確実に救われる道をつくる」”

史上かつてない大願なのです。

2. なぜ法蔵菩薩は「すべての人」を救おうとしたのか

ここには重要な仏教的視点があります。

法蔵菩薩は単なる理想主義者ではありません。

人間の深い苦悩

・怒り
・ねたみ
・孤独
・恐怖
・死への不安

こうした「苦しみの根深さ」を見つめたうえで、

”「人間は、自分の力だけでは絶対に救われない」”

という真実を把握した菩薩です。

仏教には「因果の道理」という考えがあります。

行いには必ず結果が伴う。

故に、清浄な心をもって迷いを転じて悟りを目指していく。

しかし、生物としての活動要件である煩悩(欲)が心を曇らせるならば、どんなに努力しても迷いからは抜けられない。

だから法蔵菩薩は、

”「生物としての限界を超える救いの道」” が必要だと悟られました。

この誓願がのちの「他力本願」 の基となります。

3. 五劫思惟と重誓 救いの道ができるまでの時間

『正信偈』には、法蔵菩薩の思索をこう表します。

五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方

(ごこうしゆいししょうじゅ、じゅうせいみょうしょうもんじっぽう)

「五劫(ごこう)」とは、想像を絶する長い時間のことです。

『大智度論』(だいちどろん)という経典には、

盤石劫(ばんじゃくこう)や、芥子劫(けしこう)などの譬えで、その時間の長さが表されています。

それによると、約160Km四方の巨大な岩山を百年に一度、空から天女がおりてきて羽衣でなで、それを繰り返して山が消滅するまでが“一劫”。

五劫はその五倍です。

つまり、

”「救いの道をつくるために、途方もない時間をかけて考え抜いた」”という意味です。

しかも法蔵菩薩は“一度誓った”だけではありません。

”重誓”(じゅうせい)とあるように、

”「どんなに困難でも必ず成就する」”と、重ねて誓われたのです。

しかもその誓いは、「名号(南無阿弥陀仏)のはたらきがすべての世界に響きわたるように」という願いでした。

これは「名号を聞き、信じ、称える道こそが最も多くの人を救える」と見抜かれた結果です。

4. なぜ“名号(南無阿弥陀仏)”が救いの中心なのか

『正信偈』にはこう述べられています。

本願名号正定業 至心信楽願為因

(ほんがんみょうごうしょうじょうごう、ししんしんぎょうがんにいん)

ここはとても深い部分です。

● 正定業とは、

”「浄土に往生することが定まる正しい行い」”を意味します。

そして親鸞聖人は中国の高僧、善導大師(ぜんどうだいし)の教えを基にして

”「それは名号(南無阿弥陀仏)である」”と確信されたのです。

なぜ名号がそれほど大切なのか?

それは、”名号そのものが、法蔵菩薩の願いの結晶である本願”(別名:至心信楽願)だからです。

法蔵菩薩は「救われるための行い」が厳しい条件であるほど、多くの人が救いからこぼれてしまうことを知っていました。

例えば、

・知識のある人しかできない行
・体力や時間のある人だけができる修行
・特殊な才能を要する方法

これらでは、

”病気の人も、老いた人も、悩みを抱える人も救われません。”

だから法蔵菩薩は、五劫の思惟の末に

”「どんな人でもできる行”を採用された。

それが念仏なのです。

念仏とは「私が自発的に唱える」のではなく

”「阿弥陀仏にまかせる生活そのもの」”であり、

称える声はその救いにあずかる表われにすぎません。

5. 智慧と慈悲の光明 阿弥陀仏の救いは“条件つき”ではない

阿弥陀仏は”光の仏”とも呼ばれます。

なぜ光の仏と呼ばれるのか。

それは『大無量寿経』の教えを基として依経段に、阿弥陀仏のお徳を表現し讃える12の光の描写があるからです。

普放無量無辺光 無碍無対光炎王

(ふほうむりょうむへんこう、むげむたいこうえんおう)

清浄歓喜智慧光 不断難思無称光

(しょうじょうかんぎちえこう、ふだんなんじむしょうこう)

超日月光照塵刹

(ちょうにちがっこうしょうじんせつ)

・無量光(仏)量り知れない光
・無辺光(〃)際限のない光
・無碍光(〃)妨げられない光
・無対光(〃)比べるもののない光
・炎王光(〃)輝きの最たる光
・清浄光(〃)貪りを照らし清める光
・歓喜光(〃)怒り憎悪を照らし喜びをもたらす光
・智慧光(〃)無知を照らし真実を知らせる光
・不断光(〃)常に照らされている光
・難思光(〃)人には思いはかれない光
・無称光(〃)称え尽くすことのできない光
・超日月光(〃)太陽と月を超える光

12の「光」の漢字の後には「仏」という漢字がそれぞれ隠れています。

これらの光はすべて、

”阿弥陀仏の救いが「どんな条件にも阻まれない」”ことを表しているからです。

つまり、これらの光明は

”「救いが届かない人は誰もいない」”というメッセージです。

煩悩が深くても、過去に過ちを犯していても、心が弱っていても、自分に自信がなくても

その”すべてを越えて光は至り届いている”という実に力強い表現です。

6. もし太陽が、善人にだけ光を届けるなら?

超日月光には、太陽と月を超える光という意味がありますが、阿弥陀仏の光明を説明する際、わかりやすい譬えがあります。

それは、

太陽の光は、「今日はよく頑張ったから多めに照らしてあげよう」などと選別しません。

山にも川にも、家にも草にも、善人にも悪人にも、豊かな者にも貧しい者にも、等しく照り続けています。

阿弥陀仏の光明も、まったく同じです。

むしろ仏の光は、

”「曇っているところほど照らす」”という性質があります。

それは、大切な誰かをを思うとき、

・悩んでいる人にこそ目が向く
・困っている人こそ気にかかる

これらと同じです。

阿弥陀仏の光は、

”「苦悩の中にいる人」をほうっておけない光”なのです。

7. 依経段が示す「救いの全体像」

ここまでで依経段前半が語る世界をまとめると、次のようになります。

1. 法蔵菩薩は、あらゆるいのちを救うために誓いを建てた

2. 長い時間をかけて「すべての人が救われる道」を考え抜いた

3. その結果、名号(南無阿弥陀仏)を救いの中心に置いた

4. 阿弥陀仏の光は、迷いの深い人ほど照らす

5. 救われるとは、煩悩をなくすことではなく”「煩悩の私を照らし続ける光に気づくこと」”

親鸞聖人は、この依経段の言葉で

”「私が生きていることそのものが、すでに阿弥陀仏の大きな願いの中にあったのだ」”という深い感動を見出されました。

その感動が『正信偈』の全体を貫いています。

8. 第3回予告 「一念喜愛心」と「不断煩悩得涅槃」

次回の第3回では、

能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃

(のうほついちねんきあいしん、ふだんぼんのうとくねはん)

この二句を中心に掘り下げます。

浄土真宗を学ぶ人が最初にぶつかる疑問、

「煩悩があっても救われるとはどういうことか?」

このテーマを、現代の生活と結びつけながら解説します。

ぜひお読みください。

以下、第1回のリンクを貼っております。

【第1回】はじめて学ぶ『正信偈』─なぜ今、「親鸞のことば」を読むのか

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。