【第1回】はじめて学ぶ『正信偈』─なぜ今、「親鸞のことば」を読むのか
はじめに
このたび、数回にわたり 『正信偈(しょうしんげ)』をはじめて学ぶ方のための連載 をお届けすることにいたしました。
正式名称『正信念仏偈』(しょうしんねんぶつげ)は、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が主著『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』(全6巻)の「行巻」の末尾に記された偈文で、浄土の教えの要点と讃嘆を、偈(うた)のかたちでまとめたものです。
全60行120句に及ぶ長い偈文ですが、本連載では 一句ずつの細かな注釈 を行うのではなく、
- 全体の流れ
- 背景となるお釈迦さまやインド・中国・日本の高僧の教え
- 現代の私たちの生活とどう結びつくか
これらを中心に、一般の方にも読みやすくまとめてまいります。
『正信偈』には、
「浄土真宗とは何か」「なぜ念仏なのか」「阿弥陀仏の救いとはどういうはたらきか」
その核心がすべて凝縮されています。
現代の私たちが抱える「不安」「孤独」「生きづらさ」といった問いに対して、親鸞聖人が示したまなざしは、800年を経た今もなお温かく響き続けています。
この連載が、みなさまの心の支えとなることを願っています。
1.『正信偈』とは何か 親鸞聖人が込めた願い
まず、『正信偈』の全体を確認しておきましょう。
『正信偈』とは、
”「阿弥陀仏の本願のまことを信じる心(正信)を讃嘆した偈文」”であり、以下の二部構成になっています。
● 依経段(えきょうだん)
お釈迦さまの説かれた経典(主に『大無量寿経』)に依って阿弥陀仏の救いを讃える部分
● 依釈段(えしゃくだん)
インド・中国・日本の七高僧の解釈に依って、その教えの正統性を明らかにする部分
本連載予定の前半(第1〜6回)は依経段、後半(第7〜9回)は依釈段を解説します。
親鸞聖人は、自身の師である法然上人(ほうねんしょうにん)から浄土の教えを学びましたが、それらが徐々に誤って伝えられ教えに混乱が生じました。
その中で、「どうすれば、阿弥陀仏の願いがまっすぐに伝わるだろうか」と深く思い、到達されたのが『顕浄土真実教行証文類』略称『教行信証』です。
『正信偈』とは、
”「阿弥陀仏の本願のまことを信じる心(正信)を讃嘆した偈文」”であり、以下の二部構成になっています。
● 依経段(えきょうだん)
お釈迦さまの説かれた経典(主に『大無量寿経』)に依って阿弥陀仏の救いを讃える部分
● 依釈段(えしゃくだん)
インド・中国・日本の七高僧の解釈に依って、その教えの正統性を明らかにする部分
本連載予定の前半(第1〜6回)は依経段、後半(第7〜9回)は依釈段を解説します。
親鸞聖人は、自身の師である法然上人(ほうねんしょうにん)から浄土の教えを学びましたが、それらが徐々に誤って伝えられ教えに混乱が生じました。
その中で、「どうすれば、阿弥陀仏の願いがまっすぐに伝わるだろうか」と深く思い、到達されたのが『顕浄土真実教行証文類』略称『教行信証』です。
2. 『正信偈』が説く「救い」とは何を意味するのか
冒頭には次のことばが記されています。
帰命無量寿如来
(きみょうむりょうじゅにょらい)
南無不可思議光
(なもふかしぎこう)
これは
「時間にも空間にも限りない命の仏(阿弥陀如来)に、身をまかせます」という告白です。
仏教では、私たちの心は
・不安
・執着
・怒り
・ねたみ
などに揺れ動き、思うように生きられないと説かれます。
親鸞聖人は、
この“自分で自分を救えない私の姿"を
「煩悩具足の凡夫(ぼんのうぐそくのぼんぶ)」といい、徹底して見つめられました。
私たちの心が曇るのは、弱いからでも、怠けているからでもありません。
”「煩悩の雲」がいつも心に覆いかぶさっているから”です。
しかし雲が厚くても、太陽の光そのものは失われていません。
光はいつも照っています。
ただ雲が邪魔をして見えないだけ。
親鸞聖人は『正信偈』でこう述べています。
譬如日光覆雲霧
(ひにょにっこうふうんむ)
雲霧之下明無闇
(うんむしげみょうむあん)
(日光が雲や霧に覆われても、その下は明るく闇がない)
阿弥陀仏とは、この“雲の上から照らし続ける太陽”のようなはたらきです。
私たちが迷いの中にあり、仏の光を感じられないときでも、「届いていない」のではなく、「受けとれていないだけ」。
その光は寸分も減らずに照り続けている。
これが浄土真宗の救いの根本です。
帰命無量寿如来
(きみょうむりょうじゅにょらい)
南無不可思議光
(なもふかしぎこう)
これは
「時間にも空間にも限りない命の仏(阿弥陀如来)に、身をまかせます」という告白です。
仏教では、私たちの心は
・不安
・執着
・怒り
・ねたみ
などに揺れ動き、思うように生きられないと説かれます。
親鸞聖人は、
この“自分で自分を救えない私の姿"を
「煩悩具足の凡夫(ぼんのうぐそくのぼんぶ)」といい、徹底して見つめられました。
私たちの心が曇るのは、弱いからでも、怠けているからでもありません。
”「煩悩の雲」がいつも心に覆いかぶさっているから”です。
しかし雲が厚くても、太陽の光そのものは失われていません。
光はいつも照っています。
ただ雲が邪魔をして見えないだけ。
親鸞聖人は『正信偈』でこう述べています。
譬如日光覆雲霧
(ひにょにっこうふうんむ)
雲霧之下明無闇
(うんむしげみょうむあん)
(日光が雲や霧に覆われても、その下は明るく闇がない)
阿弥陀仏とは、この“雲の上から照らし続ける太陽”のようなはたらきです。
私たちが迷いの中にあり、仏の光を感じられないときでも、「届いていない」のではなく、「受けとれていないだけ」。
その光は寸分も減らずに照り続けている。
これが浄土真宗の救いの根本です。
3. 依経段の核心 なぜ阿弥陀仏は本願を建てられたのか
依経段の前半の中心が、次の部分です。
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
(ほうぞうぼっさついんにじ、ざいせじざいおうぶつしょ)
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
(とけんしょぶつじょうどいん、こくどにんでんしぜんあく)
建立無上殊勝願
(こんりゅうむじょうしゅしょうがん)
これは『大無量寿経』(だいむりょうじゅきょう)に記された阿弥陀仏が「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)」であった時代の物語です。
法蔵菩薩は多くの仏の国土(浄土)を見つめ、そこに生まれる天人や人びとの営みを観察しました。
その上で、こう誓われます。
”「すべてのいのちが救われる国土を必ずつくる」”
この誓いが有名な”「四十八願」(しじゅうはちがん)”です。
その中でも最も中心となるのが第十八願、「本願」(ほんがん)です。
念仏する者は、”必ず救いとる。決して見捨てない。”
親鸞聖人はこの願いを『歎異抄』(たんにしょう)にて
”「親鸞一人がためなり」”と言われました。
これは「自分だけが特別」という意味ではありません。
”「あなた一人のために願われたものとして受けとってほしい」”
という徹底した個人への呼びかけです。
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
(ほうぞうぼっさついんにじ、ざいせじざいおうぶつしょ)
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
(とけんしょぶつじょうどいん、こくどにんでんしぜんあく)
建立無上殊勝願
(こんりゅうむじょうしゅしょうがん)
これは『大無量寿経』(だいむりょうじゅきょう)に記された阿弥陀仏が「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)」であった時代の物語です。
法蔵菩薩は多くの仏の国土(浄土)を見つめ、そこに生まれる天人や人びとの営みを観察しました。
その上で、こう誓われます。
”「すべてのいのちが救われる国土を必ずつくる」”
この誓いが有名な”「四十八願」(しじゅうはちがん)”です。
その中でも最も中心となるのが第十八願、「本願」(ほんがん)です。
念仏する者は、”必ず救いとる。決して見捨てない。”
親鸞聖人はこの願いを『歎異抄』(たんにしょう)にて
”「親鸞一人がためなり」”と言われました。
これは「自分だけが特別」という意味ではありません。
”「あなた一人のために願われたものとして受けとってほしい」”
という徹底した個人への呼びかけです。
4. 「一念の信心」とは何か 救いの瞬間
依経段の中でも特に重要なのが次の句です。
能発一念喜愛心
(のうほついちねんきあいしん)
不断煩悩得涅槃
(ふだんぼんのうとくねはん)
これは浄土真宗の中心思想を簡潔に表した句です。
● 「能発」とは、
「阿弥陀仏のおはたらき(本願)によっておこされる」こと。
● 「一念」とは、
時間の最小単位「ただ今」、のこと。
● 「喜愛心」は、
「ああ、阿弥陀仏の願いは私に届いていたのだ」と真実を知った心のよろこび。
つまり、
”「煩悩が断ち切れない私が、そのままで救われると知らされる瞬間」”をあらわす句です。
重要なのは「煩悩がなくなる」のではないことです。
親鸞聖人は『正信偈』で続けてこう述べます。
貪愛瞋憎之雲霧
(とんあいしんぞうしうんむ)
常覆真実信心天
(じょうふしんじつしんじんてん)
煩悩は、雲や霧のように私の心を覆い続ける。
しかし、それによって阿弥陀仏の光が消えるわけではない。
親鸞聖人が「救い」と呼んだものは、
”「煩悩があるまま、救われていると知らされる安心」”にほかなりません。
能発一念喜愛心
(のうほついちねんきあいしん)
不断煩悩得涅槃
(ふだんぼんのうとくねはん)
これは浄土真宗の中心思想を簡潔に表した句です。
● 「能発」とは、
「阿弥陀仏のおはたらき(本願)によっておこされる」こと。
● 「一念」とは、
時間の最小単位「ただ今」、のこと。
● 「喜愛心」は、
「ああ、阿弥陀仏の願いは私に届いていたのだ」と真実を知った心のよろこび。
つまり、
”「煩悩が断ち切れない私が、そのままで救われると知らされる瞬間」”をあらわす句です。
重要なのは「煩悩がなくなる」のではないことです。
親鸞聖人は『正信偈』で続けてこう述べます。
貪愛瞋憎之雲霧
(とんあいしんぞうしうんむ)
常覆真実信心天
(じょうふしんじつしんじんてん)
煩悩は、雲や霧のように私の心を覆い続ける。
しかし、それによって阿弥陀仏の光が消えるわけではない。
親鸞聖人が「救い」と呼んだものは、
”「煩悩があるまま、救われていると知らされる安心」”にほかなりません。
5. 救いとは“海の上に浮かぶ船”のようなもの
親鸞聖人はよく「海」や「船」のたとえを使われます。
”人生とは、海の上を航海するようなもの。”
どんなに立派な船でも、必ず燃料が尽き、やがて着地点を求めなければなりません。
しかし、もしも行き先がわからないなら
どれほど豪華な船に乗っていても、心には不安がつきまといます。
『正信偈』はこう説きます。
獲信見敬大慶喜
(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)
即横超截五悪趣
(そくおうちょうぜつごあくしゅ)
行き先がはっきりすれば、不安は解ける。
阿弥陀仏の願いに身をまかせるとは、
”「生死を超えて目的地が示される」”ということです。
だから親鸞聖人は「信心を得るとは、絶対に壊れない安心をいただくこと」と説明されました。
”人生とは、海の上を航海するようなもの。”
どんなに立派な船でも、必ず燃料が尽き、やがて着地点を求めなければなりません。
しかし、もしも行き先がわからないなら
どれほど豪華な船に乗っていても、心には不安がつきまといます。
『正信偈』はこう説きます。
獲信見敬大慶喜
(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)
即横超截五悪趣
(そくおうちょうぜつごあくしゅ)
行き先がはっきりすれば、不安は解ける。
阿弥陀仏の願いに身をまかせるとは、
”「生死を超えて目的地が示される」”ということです。
だから親鸞聖人は「信心を得るとは、絶対に壊れない安心をいただくこと」と説明されました。
6. 現代の私たちに『正信偈』は何を語るのか
・未来が見えない
・人間関係の疲れ
・SNSでの比較
・仕事の責任
・家族の問題
・老いや病への不安
生きていれば、心は揺れ、曇り、折れそうになることがあります。
仏教では、これらの不安を
”「私が自分の力だけでなんとかしようとしている苦しみ」”と見つめます。
しかし『正信偈』はまったく別の風景を示します。
”「あなたの心が曇っていても、あなたを照らし続ける光がある」”
その光を「阿弥陀仏の本願力」と呼んだのです。
だからこそ、『正信偈』を読むことは
”自分中心の生き方から、仏の大きなはたらきを感じ取る生き方への転換”につながります。
これを浄土真宗では”「安心(あんじん)」”と言います。
● 安心とは、
感情がゆれなくなる状態ではありません。
”ゆれながらも支えがあることを知る心”です。
・人間関係の疲れ
・SNSでの比較
・仕事の責任
・家族の問題
・老いや病への不安
生きていれば、心は揺れ、曇り、折れそうになることがあります。
仏教では、これらの不安を
”「私が自分の力だけでなんとかしようとしている苦しみ」”と見つめます。
しかし『正信偈』はまったく別の風景を示します。
”「あなたの心が曇っていても、あなたを照らし続ける光がある」”
その光を「阿弥陀仏の本願力」と呼んだのです。
だからこそ、『正信偈』を読むことは
”自分中心の生き方から、仏の大きなはたらきを感じ取る生き方への転換”につながります。
これを浄土真宗では”「安心(あんじん)」”と言います。
● 安心とは、
感情がゆれなくなる状態ではありません。
”ゆれながらも支えがあることを知る心”です。
7. まとめ 次回予告
今回は導入として、
● 『正信偈』とは何か
● 依経段の中心思想
● 「救い」「一念」「安心」の意味
これらを概観しました。
第2回:依経段①─「法蔵菩薩の物語と四十八願のこころ」では、『正信偈』前半をさらに深く読み進めます。
阿弥陀仏の本願がどのように生まれ、どのように私たちを包んでいるのか?
物語としてわかりやすく解説します。
どうぞ引き続きお読みください。
● 『正信偈』とは何か
● 依経段の中心思想
● 「救い」「一念」「安心」の意味
これらを概観しました。
第2回:依経段①─「法蔵菩薩の物語と四十八願のこころ」では、『正信偈』前半をさらに深く読み進めます。
阿弥陀仏の本願がどのように生まれ、どのように私たちを包んでいるのか?
物語としてわかりやすく解説します。
どうぞ引き続きお読みください。
投稿者プロフィール
- 住職
- 高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。
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