死を見つめる文化:埋葬の歴史から現代まで
埋葬(まいそう)とは、死者を土の中に埋める行為を指します。
この行為は古代から現代に至るまで、世界各地で行われてきました。
埋葬の意義としては以下の点が挙げられます。
- 死者に敬意を表す:死後の世界で再生、往生、復活できるように願う。
- 村単位での継続的な行為:遺族のみならず、村単位で遺体処理を継続的に行うことで埋葬の手間が省ける。
- 見栄えの改善:遺体が道端に転がっていると見栄えが悪いので隠す。
- 衛生上の理由:遺体の腐敗による伝染病の予防。
- 習俗的・物理的な措置:遺体の復活を恐れ、儀式的な措置をすると同時に、物理的に脱出を困難にさせる。
このように、宗教、習俗、環境、衛生など様々な理由で人は埋葬されるのです。
以下、埋葬の歴史について詳しく解説します。
世界最古の埋葬
まず、埋葬はいつから始まったのでしょうか?
このようなことに疑問を持たれる方は少ないかもしれませんが、実は記録があります。
アメリカの考古学者R・S・ソレッキ博士が、1960年代にイランのシャニダール洞窟で、3万5000年前から6万5000年前の遺骨を発見しました。
その洞窟では、ネアンデルタール人の化石とともに、ノコギリソウやヤグルマギクなど数種類の花粉を大量に発見しました。
洞窟内に花粉が存在することは不自然だと思い。周辺の花粉の量と比べたところ、化石付近の花粉の量が極端に多かったこと、これらの花が昔から薬草として扱われていたことから、ソレッキ博士らは「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があった」との説を唱えました。
シャニダール洞窟の発見には諸説ありますが、旧石器時代には他にも死者を弔うために埋葬されたとされる化石が見つかっています。
例えば、イスラエルのカルメル山地にあるスフル洞窟では、約10万年前のネアンデルタール人の遺骨が発見され、その周囲に石が置かれていました。
これらの発見から、数万年前の人類の祖先が死者を弔っていたことは間違いないとされています。
さらに、フランスの南西部にあるラ・フェラシー遺跡では、約7万年前のネアンデルタール人の遺骨が発見され、遺体が意図的に埋められていたことが確認されています。
この遺跡では、13年にわたって分析が行われ、ネアンデルタール人たちは細心の注意を払って墓穴を掘り、遺体を腐食動物から守っていたことが確かめられました。
これらの証拠からも、埋葬が非常に古くから行われていたことがわかります。
このようなことに疑問を持たれる方は少ないかもしれませんが、実は記録があります。
アメリカの考古学者R・S・ソレッキ博士が、1960年代にイランのシャニダール洞窟で、3万5000年前から6万5000年前の遺骨を発見しました。
その洞窟では、ネアンデルタール人の化石とともに、ノコギリソウやヤグルマギクなど数種類の花粉を大量に発見しました。
洞窟内に花粉が存在することは不自然だと思い。周辺の花粉の量と比べたところ、化石付近の花粉の量が極端に多かったこと、これらの花が昔から薬草として扱われていたことから、ソレッキ博士らは「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があった」との説を唱えました。
シャニダール洞窟の発見には諸説ありますが、旧石器時代には他にも死者を弔うために埋葬されたとされる化石が見つかっています。
例えば、イスラエルのカルメル山地にあるスフル洞窟では、約10万年前のネアンデルタール人の遺骨が発見され、その周囲に石が置かれていました。
これらの発見から、数万年前の人類の祖先が死者を弔っていたことは間違いないとされています。
さらに、フランスの南西部にあるラ・フェラシー遺跡では、約7万年前のネアンデルタール人の遺骨が発見され、遺体が意図的に埋められていたことが確認されています。
この遺跡では、13年にわたって分析が行われ、ネアンデルタール人たちは細心の注意を払って墓穴を掘り、遺体を腐食動物から守っていたことが確かめられました。
これらの証拠からも、埋葬が非常に古くから行われていたことがわかります。
日本最古の埋葬
日本で確認されている最古の埋葬は、國學院大學の谷口康浩教授らが、群馬県長野原町の「居家以(いやい)岩陰遺跡」から発見した、ほぼ完全な状態の埋葬された人骨です。
放射性炭素年代測定により、縄文時代早期にあたる約8300年前のものであることが判明しました。
この人骨は膝を折り曲げ、身体を丸めて、人為的に掘った穴の中に埋められていました。
これは、縄文時代に見られる「屈葬」という特徴的な埋葬形式です。
この遺跡より後の縄文時代には、ムラの中央に集団墓地を設けてその周囲を住居で囲む「環状集落」という形式の集落が出現しています。
生活空間に遺体を埋めることで、死をより身近に感じ、亡くなった人とのつながりを大事にしていたと考えられ、それを裏付ける証拠もたくさん見つかっています。
例えば、長野県の阿久川原遺跡では、集団墓地の中央に大型の石組みの墓があり、その周囲に小型の墓が配置されています。
これは、死者を身近に感じ大切に扱う死生観を持っていたことを示しています。
こうした習俗は、古代(弥生時代)日本の神道的思想「穢れ」ケの思想により見られなくなり、次第に死を忌むべきものとして考えるようになり、生活空間から墓地を遠ざけていったと考えられます。
弥生時代には、墓地が集落の外れや山間部に設けられ、埋葬の際には副葬品が添えられるようになりました。
これは、死者の霊を慰め、穢れを避けるための儀式として行われたものと考えられます。
谷口教授は、「これまではこの環状集落以前の縄文人の死生観ははっきりしていなかったのですが、今回、この人骨が見つかったことで、少なくとも8300年前には、環状集落と同様、死者を身近に感じ大切に扱う死生観を持っていたと考えられるようになりました」と語っています。
放射性炭素年代測定により、縄文時代早期にあたる約8300年前のものであることが判明しました。
この人骨は膝を折り曲げ、身体を丸めて、人為的に掘った穴の中に埋められていました。
これは、縄文時代に見られる「屈葬」という特徴的な埋葬形式です。
この遺跡より後の縄文時代には、ムラの中央に集団墓地を設けてその周囲を住居で囲む「環状集落」という形式の集落が出現しています。
生活空間に遺体を埋めることで、死をより身近に感じ、亡くなった人とのつながりを大事にしていたと考えられ、それを裏付ける証拠もたくさん見つかっています。
例えば、長野県の阿久川原遺跡では、集団墓地の中央に大型の石組みの墓があり、その周囲に小型の墓が配置されています。
これは、死者を身近に感じ大切に扱う死生観を持っていたことを示しています。
こうした習俗は、古代(弥生時代)日本の神道的思想「穢れ」ケの思想により見られなくなり、次第に死を忌むべきものとして考えるようになり、生活空間から墓地を遠ざけていったと考えられます。
弥生時代には、墓地が集落の外れや山間部に設けられ、埋葬の際には副葬品が添えられるようになりました。
これは、死者の霊を慰め、穢れを避けるための儀式として行われたものと考えられます。
谷口教授は、「これまではこの環状集落以前の縄文人の死生観ははっきりしていなかったのですが、今回、この人骨が見つかったことで、少なくとも8300年前には、環状集落と同様、死者を身近に感じ大切に扱う死生観を持っていたと考えられるようになりました」と語っています。
まとめ
いかがでしたか?
埋葬というのは、その行為自体が集団生活において衛生的、組織的考えのもと行われていたということのみならず、宗教的な高い精神性を古来から持ち合わせていたということです。
しかも、それらはホモサピエンスではなく、ネアンデルタール人から行われていたということです。
ここから見て私たちの祖先は、数万年前から既に現代を生きる私たちと何ら変わりはなかったのではないかと考えられます。
特に興味深いのは、集落の中心地を墓地にするということです。
死をより身近に感じ、私の命もまたいつかはこうなるのだと連想させ、また傍に埋葬することで死者との距離をも身近なものにしていた祖先に、ただ頭が下がるばかりです。
現代では、火葬が主流となっていますが、歴史を振り返ると土葬や火葬の両方が行われていた時代もあります。
日本は火葬率が99.97%という世界でもまれに見る火葬大国ですが、その背景には少子高齢化や都市化、墓地用地の不足などがあります。
また、宗教的な理由から火葬をタブー視する宗教もあり、各地で異なる葬送文化が発展してきました。
例えば、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教では、死後の復活を信じるため、火葬をタブー視してきました。これらの宗教では、土葬が一般的であり、戒律に基づいて厳格に行われます。
一方、ヒンドゥー教や仏教では、火葬が重要視されており、遺体を浄化するための儀式として行われます。
日本でも、明治時代には神道国教化政策の一環として火葬が一時禁止されましたが、その後の人口増加や伝染病の流行などを背景に火葬が推奨されるようになりました。
現在では、過疎や少子高齢化、核家族化が進む中で、先祖代々の墓を「守りたくても守れない」として「墓じまい」し、納骨堂などに「改葬」する事例も増えています。
2021年度の改葬件数は12万近くに上り、高齢単身者数(2020年)は約670万人と、この20年で2倍以上に増加しました。「孤独死」や引き取り手のない「無縁遺骨」の問題を案じる人も少なくありません。
研究者や葬儀業者らでつくる「日本葬送文化学会」の会長である長江曜子・聖徳大学教授は、「葬送とは、単なる『死体の処理』ではなく、人間しか持たない文化そのもの。今までは親族や地域、会社などが当たり前に担ってきたが、超少子・超高齢化のもと、自らの生前の選択や、社会のセーフティーネットが必要な時代になりつつある」と話しています。
今回は埋葬の歴史についてお話ししましたが、次回は現代の火葬文化について詳しく掘り下げてみたいと思います。
埋葬というのは、その行為自体が集団生活において衛生的、組織的考えのもと行われていたということのみならず、宗教的な高い精神性を古来から持ち合わせていたということです。
しかも、それらはホモサピエンスではなく、ネアンデルタール人から行われていたということです。
ここから見て私たちの祖先は、数万年前から既に現代を生きる私たちと何ら変わりはなかったのではないかと考えられます。
特に興味深いのは、集落の中心地を墓地にするということです。
死をより身近に感じ、私の命もまたいつかはこうなるのだと連想させ、また傍に埋葬することで死者との距離をも身近なものにしていた祖先に、ただ頭が下がるばかりです。
現代では、火葬が主流となっていますが、歴史を振り返ると土葬や火葬の両方が行われていた時代もあります。
日本は火葬率が99.97%という世界でもまれに見る火葬大国ですが、その背景には少子高齢化や都市化、墓地用地の不足などがあります。
また、宗教的な理由から火葬をタブー視する宗教もあり、各地で異なる葬送文化が発展してきました。
例えば、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教では、死後の復活を信じるため、火葬をタブー視してきました。これらの宗教では、土葬が一般的であり、戒律に基づいて厳格に行われます。
一方、ヒンドゥー教や仏教では、火葬が重要視されており、遺体を浄化するための儀式として行われます。
日本でも、明治時代には神道国教化政策の一環として火葬が一時禁止されましたが、その後の人口増加や伝染病の流行などを背景に火葬が推奨されるようになりました。
現在では、過疎や少子高齢化、核家族化が進む中で、先祖代々の墓を「守りたくても守れない」として「墓じまい」し、納骨堂などに「改葬」する事例も増えています。
2021年度の改葬件数は12万近くに上り、高齢単身者数(2020年)は約670万人と、この20年で2倍以上に増加しました。「孤独死」や引き取り手のない「無縁遺骨」の問題を案じる人も少なくありません。
研究者や葬儀業者らでつくる「日本葬送文化学会」の会長である長江曜子・聖徳大学教授は、「葬送とは、単なる『死体の処理』ではなく、人間しか持たない文化そのもの。今までは親族や地域、会社などが当たり前に担ってきたが、超少子・超高齢化のもと、自らの生前の選択や、社会のセーフティーネットが必要な時代になりつつある」と話しています。
今回は埋葬の歴史についてお話ししましたが、次回は現代の火葬文化について詳しく掘り下げてみたいと思います。
投稿者プロフィール
- 高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。
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