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星降る夜の物語: 七夕の歴史と現代の祭り

星降る夜の物語: 七夕の歴史と現代の祭り

七夕(たなばた)は、日本の古くからの伝統行事であり、毎年7月7日に行われます。

この日は、織姫(こと座ベガ)と彦星(わし座アルタイル)が天の川を渡って再会する日とされており、願い事を書いた短冊を笹の葉に吊るし、星に祈る風習があります。

この記事では、七夕の歴史、由来、伝説、そして現代の七夕祭りの様子について詳しく見ていきます。

七夕の歴史と起源

七夕の起源は、以下の三つの要素が組み合わさったものとされています。

1.日本の神事「棚機(たなばた)」

2.中国の「乞巧奠(きこうでん)」

3.中国の「織姫と彦星の伝説」

棚機

棚機(たなばた)は、古代日本の禊ぎ(身を清める)行事で、選ばれた乙女が川の近くで着物を織り、水神を迎えるための準備をしました。

この乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、水神に奉納するための着物を織りました。

この行事がお盆前であることから仏教の影響を受け、お盆の準備として7月7日(旧暦)に行われるようになり、「七夕」と呼ばれるようになりました。

乞巧奠

乞巧奠(きこうでん)は、中国の行事で、織女星(織姫)にちなんで織物や裁縫が上達するように祈るものです。

やがて、書道や芸事の上達も祈願するようになりました 。

この行事は奈良時代に日本に伝わり、宮中行事として取り入れられました。

織姫と彦星の伝説

織姫と彦星の伝説は、天帝の娘である織女と、天の川の向かい側にいる牽牛が一年に一度だけ会うというロマンチックな物語です。

この伝説は中国から伝わり、日本でも広く知られるようになりました。

七夕伝説の基本的なストーリーは、天帝の娘である織姫(織女)が牽牛と恋に落ち、仕事を怠けるようになったため、天帝が二人を天の川の両岸に引き離したというものです。

しかし、天帝は二人の悲しみを見かねて、毎年7月7日の夜だけ再会を許しました。

この日、雨が降ると川の水が増して渡れないため、カササギが橋を作って二人を助けるというエピソードもあります。

万葉集

奈良時代に伝わった織姫彦星伝説は、宮中や庶民にまで浸透し、その影響が『万葉集』にも見られ、その美しさと繊細な感情を表現しています。

『万葉集』(巻10)より以下に三つの和歌を紹介します。

・天地と別れし時ゆ己が妻しかぞ年にある秋待つ我れは
(天地が別れた昔から自分の妻はこのように一年を経て会うさだめである。秋を待つ自分は。)

・彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ
(彦星はお嘆きになっている妻にせめて言葉だけでも告げにやってきたことだ。見ているとつらいので。)

・天の川い向ひ立ちて恋しらに言だに告げむ妻と言ふまでは
(天の川にお互い向かい合って立って恋しさにせめて便りだけでも告げよう。会って妻と言うまでは)

七夕祭りの変遷

七夕祭りは時代とともに変遷し、現在では日本各地で様々な形で行われています。

ここでは、その変遷について見ていきます。

平安時代

平安時代には、宮中行事として七夕が行われ、詩歌を詠み、桃や梨、干し鯛などを供え、雅楽を奏で、星を眺めるなどの文化的な行事が行われました。

宮中の人々は、梶の葉に和歌を書いて願い事をしました。

江戸時代

七夕に関する風習が書かれた江戸時代の書物『銀河草紙』によると、

「今の世のならいに、七月五日または六日に五色の染紙を色紙短冊の形に切りて、詩歌を書き、長き竹に結い付け、幼童ら市中をささげ歩きて遊戯をなし…」とあり、子どもたちが笹を持って、街中を練り歩いたことが書かれており、既に現代の風習が江戸時代に行われていたことがわかります。

また、七夕の朝は早起きして、芋の葉に付いた露を集めて墨をすって書道をして達筆を願いました。

『銀河草紙』には「芋の葉における露は、みるみる白金のようにて、いとも清くみゆる」とあり、手に入りやすい芋の葉の朝露が美しいことから清浄として白金と表現されています。

このため書道用具も新調されるようでした。

平安時代より星に捧げる和歌を詠んだり、詩を作ったりする風習がありましたが、江戸時代でも継承されていました。

『銀河草紙』には、「短冊色紙書法」として短冊や色紙に詩歌を書く「書き方」が絵で示されています。

また、平安時代の梶の葉に書く風習もあったと紹介されています。

このように、現代に通ずるさまざまな風習が繰り広げられていた様子が伺えます。

『銀河草紙』は国会図書館のデジタルコレクションで閲覧可能です。【】内リンクに貼っておきます。

現代の七夕祭り

現代では、七夕祭りは全国各地で様々な形で行われています。

仙台の七夕祭りは特に有名で、8月6日から8日にかけて行われます。これは「月遅れの行事」と呼ばれ、旧暦の7月7日に近い日を新暦の8月に設定したものです。

仙台の七夕祭りでは、美しい七夕飾りが商店街や家庭の前に飾られ、多くの観光客が訪れます。

各地で七夕祭りが行われる日付を見ていると、3種類あることに気づきます。

一つは現在の暦の7月7日で、二つめが旧暦の7月7日。

そして三つめが8月7日に行われるというもので、有名な仙台の七夕祭りなどはこれが当たります。

仙台の七夕祭りのように、現行太陽暦の日付の一ヶ月遅れでおこなう行事を「月遅れの行事」といいます。

これは明治期に太陽暦への改暦が行われた時、新暦でお祭りをするとうまりにも行事本来の季節とズレてしまうことに対処するため、1ヶ月遅れでお祭りをすることにしたのが始まりです。

七夕の飾りの意味

七夕の飾りを笹に吊るすのは、笹が冬でも青々としているため、生命力が高く邪気を払う植物と考えられていたからです。

また、笹は天に向かってまっすぐ伸びるため、願い事を天に届けると信じられていました。

七夕の飾りには、それぞれ意味があります。

以下に代表的な飾りとその意味を紹介します。

短冊:願い事を書いて吊るし、願いが叶うように祈ります。
紙衣:裁縫の上達を祈るものです。
巾着:お金が貯まるように願います。
投網:豊漁を祈ります。
屑籠:整理整頓を促すものです。
吹き流し:織姫のように機織りが上手になるように願います。
千羽鶴:家族の長寿を祈ります。

まとめ

現代の七夕祭りには、いくつかの課題も存在します。

例えば、環境問題や少子化などの影響で、七夕飾りを川に流す風習が廃れつつあります。また、伝統的な風習が失われつつある一方で、新しい形の七夕祭りが生まれています。

例えば、商業施設や観光地でのイベントとして行われる七夕祭りや、SNSを通じて願い事を共有するオンライン七夕などです。

七夕は、古代から現代に至るまで日本の文化として受け継がれてきた重要な行事です。

織姫と彦星のロマンチックな伝説や、願い事を短冊に書いて星に祈る風習は、多くの人々に親しまれています。

七夕祭りは、地域ごとに異なる風習や飾りがあり、現代の社会においても新たな形で続けられています。

皆さんも今年の七夕には、短冊に願い事を書いて星に祈ってみてはいかがでしょうか。

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。