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お釈迦様のご遺言『涅槃経』

お釈迦様のご遺言『涅槃経』

皆さんこんちは。

2月は仏教三大行事の一つ涅槃会(ねはんえ)の季節です。

ご存じのない方も多いかと思いますが、4月8日の花まつりはお釈迦様の誕生日、12月8日の成道会(じょうどうえ)はお釈迦様が悟りをひらかれた日、そして2月15日の涅槃会はお釈迦様が亡くなられた日とされ、それぞれの日に法要が営まれています。

今回は、知られざるお釈迦様のご遺言とそのご生涯について書いていきます。

成道会についてはコチラ

涅槃会

涅槃会は、”涅槃”という言葉と”会”という2つの言葉から成ります。

涅槃とは、迷いの心である”煩悩(感情の波)を制し自由になった心の状態”を指す言葉ですが、涅槃会という場合には、お釈迦様が亡くなったという意味で用いられています。

会は、集まるというような意味から法要などの行事も指します。

お釈迦様が亡くなったことを入滅(にゅうめつ)といい、その時の様子が描かれた「涅槃図」を開き、お釈迦様を偲ぶ法要が取り行われます。

日本では、奈良にある興福寺の涅槃会が750年頃から実施されていて、古くからの伝統がある法要として有名です。

お釈迦様の命日ははっきりとは特定されていませんが、スリランカや東南アジアの南伝仏教では、お釈迦様はヴァイシャーカ月の満月の日に亡くなられたとされ、南方の国々では5月の満月の日が涅槃会を実施する日になっています。

そのヴァイシャーカ月が「第2の月」という意味を持つことから、中国には2月が亡くなった月と伝えられたようです。

そのため中国では、涅槃会は2月15日に実施されています。

その影響を受けて、日本も2月15日に涅槃会を行うに至ったとされています。

ただし、旧暦の2月は現在の3月にあたるため、お寺によっては旧暦を取り入れて3月15日に涅槃会を行うところもあります。

お釈迦様のご生涯

涅槃会について解説しました。

ここで、お釈迦様のご生涯について解説しておきます。

お釈迦様は名前をゴータマ・シッダッタといい、ネパール南部のルンビニーで生まれた釈迦族(しゃかぞく)の王子でした。

何不自由のない生活を送られていましたが、お城の外で人間の根本的な苦しみである”老病死”を目撃しその後苦悩されました。

その苦悩を解決するため、王子の身分を捨てて29歳のときに出家をし、修行者として悟りをひらくため6年間あらゆる苦行を続けました。

しかし、苦行をするだけでは悟りがひらけないと判断したため、35歳の頃には苦行をやめ、菩提樹のもとでの瞑想し、そこでついに悟りをひらいたとされています。

悟りをひらいたお釈迦様は、それから45年もの間、主にインドのガンジス川中流地域で人々に仏教の教えを説きながら旅を続け、弟子と信者を増やしていきます。

そして80歳を迎えた頃には自分の最期が近いことを知り、3カ月後の入滅を弟子たちに告げて、終焉の地クシナガラで入滅されました。

こうして80年の生涯を終えたとされています。

その後、この涅槃の地クシナガラは聖地のひとつとなり、信者が巡礼に訪れる場所となりました。

お釈迦様の教えについて詳しくは【】内リンクをご覧ください。

涅槃図について

お釈迦様は約2500年前、80歳のときにインドのクシナガラで入滅されました。

横になっている仏像をご覧になったことがあるかもしれませんが、あのお姿はまさしくお釈迦様が入滅される姿を表しています。

正式には、頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)といい、頭を北向きにして右手を枕とするか、もしくは頭を支える姿です。

基本的には、頭は北向き、顔は西向き、右脇が下とされています。

このことが由縁となり、亡くなった時に故人を「北枕」にするとされています。

しかし、必ずしも亡くなられた後北枕にする必要はありませんし、北向きに寝たからといって縁起が悪いという訳でもありません。

お釈迦様が入滅される様子は涅槃図といいます。

経典によって少し描写が異なりますが、基本的にはどれもお釈迦様が中心で頭北面西右脇の状態です。

また、涅槃像においてお釈迦様の眼が半分開いているものが多いのですが、これはお釈迦様は亡くなられたのではなく”深い瞑想状態である禅定(ぜんじょう)に入られたのだ”という『涅槃経』の記述によるものです。

その周りには沙羅双樹(さらそうじゅ)といって、沙羅の樹が2本~8本生えていたり、弟子や森の動物、更には天女や神々などがお釈迦様の周りを囲んで嘆き悲しんでおられます。

涅槃図は多くの芸術家らによって描かれたため、たくさんの芸術的な涅槃図が現在でも残されています。

『大般涅槃経』

ここまで涅槃会について解説しました。

これらは『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう)通称『涅槃経』という経典に基づいています。

『涅槃経』は、古来より2種類存在しています。

1つは紀元前に編纂された『涅槃経』、もう1つは紀元後に書かれた『涅槃経』です。

主に日本で親しまれている『涅槃経』は紀元後のものになりますが、今回は2種類の経典の内容を混ぜて解説します。

涅槃経の内容

『涅槃経』の内容については、お釈迦様のご生涯のところでも少し触れましたが、ここではもう少し詳しく書きます。

お釈迦様は高齢となられ、ご自身の生涯がもう長くはないと自覚しました。

そこで、霊鷲山(りょうじゅせん)といういつも説法をしていた所から13の村、大きな3つの国を越えてクシナガラにたどり着きました。

ただ、最初からクシナガラを目指していたわけではなく、旅の途中である事件に巻き込まれ結果的にクシナガラで入滅されました。

ちなみに、霊鷲山からクシナガラまでは290キロの道のりで徒歩3.4日程度かかります。

その事件とは

ある日、旅の途中に鍛冶屋の青年チュンダからお釈迦様へお布施としてキノコ料理が振舞われました。

しかし、善意で振舞ったこのキノコ料理にお釈迦様はあたってしまい体調を崩されます。

しかし、お釈迦様は弟子たちにチュンダを責めないように説得されます。

さらに、お釈迦様は「これは仮病である」といい、悟りをひらいた者でも病にかかるのだと仰せられました。

以上

この事件によりクシナガラで入滅されたお釈迦様ですが、その後火葬され遺骨が8つに分骨されたといいます。

ただ、2つの『涅槃経』ではこの火葬から分骨までの記述がある紀元前のものと紀元後のないものがあります。

紀元後のないものについては、お釈迦様の肉体は入滅(滅んだ)したがその後も存在し続けているという風に解釈されています。

涅槃経の教え

入滅までの経緯が書かれた『涅槃経』ですが、他にも教えがいくつかあります。

その詳細については書面の都合上別で書きますが、今回は簡単に説明しておきます。

1. 如来常住(にょらいじょうじゅう)

すべての仏(お釈迦様も含む)は永遠に不滅で常住である。

2. 一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)

生きとし生けるものはみな仏になる性質を持っている

3. 常楽我浄(じょうらくがじょう)

※仏及び涅槃とは、迷いの心である”煩悩(感情の波)を制し自由になった心の状態”

常 - 仏や涅槃の境涯は、常住で永遠に不滅不変である
楽 - 仏や涅槃の境涯は、人間の思い通りにならないことを離れたところに真の安楽がある
我 - 仏や涅槃の境涯は、人間本位の自我(霊魂)を離れ、如来我(仏性)がある。(仏の境涯は自立していて他から何の束縛も受けない絶対の自由である)
浄 - 仏や涅槃の境涯は、煩悩を離れ浄化された清浄な世界である

4. 一闡提成仏(いっせんだいじょうぶつ)

仏教を否定する者や信じない者、これらを闡提(せんだい)といいこれまで成仏できないとしていたが、『涅槃経』にいたっては闡提であっても仏性は有しているから成仏する可能性はあるとしている。

この他、涅槃のときに集まった弟子たちに対して「ものごとは移り変わっていく、怠ることなく日々精進しなさい」(諸行無常)

「自らを灯とし、他を灯とすることなかれ。法(教え)を灯とせよ」(自灯明、法灯明)などの教えを遺したと書かれています。

身近な『涅槃経』

ここまで涅槃会の意味と『涅槃経』について解説しました。

皆さまにとって縁遠いと感じられるかもしれない『涅槃経』ですが、実は日本の文化にも様々な影響を与えています。

例えば

・いろは歌

いろは歌は、平仮名が重複していないという点から、字を書く練習や、平仮名を学ぶ際のお手本として広く活用されていますが、これは『涅槃経』にある雪山童子(せっせんどうじ)の説話から”無常偈”(むじょうげ)という部分を基に制作されたと言われています。

「諸行無常しょぎょうむじょう 是生滅法ぜしょうめっぽう 生滅滅已しょうめつめつい 寂滅為楽じゃくめついらく」

無常偈の教えといろは歌の該当部分を記しますと

いろは歌
色は匂へど 散りぬるを(諸行無常)
我が世誰ぞ 常ならむ(是生滅法)
有為の奥山 今日越えて(生滅滅已)
浅き夢見じ 酔ひもせず(寂滅為楽)

「花が咲き誇っどんなに美しくてもやがて散ってしまう(諸)いったい誰が永遠に生き続けられるであろうか(是)山のように思い通りにならない出来事を今日も越えて(生)人生は思い通りになるというはかない夢に私は酔うことはない(寂)」このようになります。

・油断(ゆだん)

油断とは、たかをくくって気を許し、注意を怠ることです。

一般的に知られている四字熟語として油断大敵という言葉がありますが、この”油断”の由来となった話が『涅槃経』に説かれてあります。

ある王様が臣下に油の入った一つの鉢を持たせ、行動する時にもし油を一滴でもこぼせば、殺すと告げ、刀を持った家来をその臣下の後につけさせ監視しました。

鉢を持った臣下は注意深くその鉢を持ってゆき、ついに一滴も油をこぼすことがなかったといいます。

注意深くすれば、油を断つことがなかったという事から”油断”という言葉が生まれました。

仏教では、神仏に捧げる灯火は供養の1つとされているため油を断たないように大切にするという考え方もあります。

おわりに

以上、涅槃会と典拠である『涅槃経』について解説しました。

今回はあまり触れませんでしたが、宗祖親鸞聖人はご著書である『教行信証』にて『涅槃経』を多数引用され浄土真宗のみ教えを明らかにしてくださっております。

阿弥陀如来やお釈迦様をはじめとするすべての仏様方は、様々な方便(たとえ話)などによって、迷える私たちに悟りへと向かわせる心をおこしてくださるのだと記されております。

上記でも述べましたが『涅槃経』は日本の文化に深く浸透し、親鸞聖人に影響を与えました。

その内容に触れ、少しでも教えを実践することが”幸せへの近道”ではないかと思います。

以上、お釈迦様のご遺言『涅槃経』でした。

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早17年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。