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今さら聞けないお彼岸って何?

彼岸花

皆さんこんにちは。

3月の春彼岸、9月の秋彼岸。

それぞれ春分の日、秋分の日を中日とした前後3日間、計7日間ずつが期間とされています。

彼岸会中日は祝日ですので、単なるお休みやお墓参りというイメージが多いかと思います。

今回は、知っているようで知らない彼岸会の由来とその期間中の過ごし方についてご紹介したいと思います。

お彼岸とは

お彼岸は、向こうの岸に到るという意味で、煩悩や迷いのあるこちらの世界から悟りの開けた世界へ至ること。又は向こう岸へと至るために行う修行のことです。

お彼岸の語源は、サンスクリット語(古代インド語)でパーラミタといいます。

漢字にあてると波羅蜜多(はらみった)」と書きます。

また、彼岸(パーラム)至る(イタ)のという2つの意味をを持っています。

仏教では元来、煩悩に満ちあふれるこの現世の世界を此岸(しがん)と呼び、悟りの境地である涅槃(ねはん)、あの世の世界を彼岸と呼びました。

先程から岸から岸へ至ると書いていますが、双方の間には実は川が流れています。

川とは、すなわち生と死の世界を隔てる三途の川(さんずのかわ)を指します。

川は仏教にとって象徴的な場所で、生と死を分けるだけでなく、煩悩と悟り、俗世と来世を分ける表現とされています。

余談ですが、臨死体験された方のあの世に関する証言では世界共通で必ず境界線が出てくるそうです。

それは、花畑や渓谷、川、山といった形で様々ですが、いずれにせよこの世とあの世を分け隔てる境界線があることは間違いないようです。

次は、日本における彼岸の歴史を史実と仏教の2つの観点から見ていきましょう。

お彼岸の歴史~史実~

実は、彼岸会は日本オリジナルの仏教行事です。

仏教儀礼としての側面と日本古来からの風習が混ざって今日の彼岸会となりました。

延暦25年(806年)日本で初めて仏教行事としての彼岸会が行われた記録があります。

『日本後紀』延暦25年(806年)2月条に「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間、『金剛般若波羅蜜多経』を崇道天皇(早良親王)のために転読させた」

これによると、早良親王(さわらしんのう)という桓武天皇(かんむてんのう)の弟の怨念を鎮めるために彼岸会が勤まったとあります。

桓武天皇といえば、奈良の平城京から京都の長岡京、そして平安京へと順に遷都した天皇として有名ですが、長岡京はわずか10年しか機能せず、都の建設途中に平安京へと遷都されました。

長岡京が10年足らずで遷都する重大な事件が上記”早良親王の祟り”です。

その事件の概要は

785年、京都南部に遷都した長岡京で都の造営責任者・藤原種継が暗殺されました。

この事件によって関与したとされる人物たちが斬首、流罪などの処分を受けています。

その時に早良親王も連座して淡路国への流罪が決まったのです。

無罪を主張した早良親王でしたが、結局移動中に河内国にて死亡。

この時の桓武天皇や朝廷に対する怒りは計り知れず、後に怨霊となったとあります。

怨霊となった早良親王の祟りは凄まじく、桓武天皇の親族が次々と病死。

暴風雨、地震、旱魃かんばつ・虫害・寒冷による凶作、疫病の流行。

これらにより桓武天皇は早良親王の祟りを恐れ、彼岸会を勤めて鎮魂し、平安京へと遷都しました。

その時の彼岸会の規模も大掛かりで、朝廷の太政官(最高行政府)から五畿内七道諸の、国の管轄する寺の僧侶達に春分・秋分を中心とする7日間に『金剛般若波羅蜜経』を読経する命令が出され、これを命じた太政官符では以後恒例とするようにし、これが、今日の彼岸会になったといわれています。

お彼岸の歴史~仏教~

お彼岸は西に向かって拝むとされています。

これは伝統仏教の中にある”浄土信仰”というものが基となっていて、西の彼方に阿弥陀如来がいる極楽浄土があり、そこへ人々は成仏するということが『浄土三部経』に書かれているからです。

この浄土信仰は、仏教が中国に伝わった後盛んに研究され、それが日本に伝わり平安時代より広まり始めました。

なかでも、大阪の天王寺には夕陽丘という地名があり、ここでは”日想観”(にっそうかん)という修行法が盛んに行われた場所です。

日想観とは、この世を憂う人々が西の方角に向かって、彼岸と呼ばれる極楽浄土に想いを寄せ浄土や阿弥陀如来を寸分狂いなくイメージすることです。

お彼岸の成り立ちは、先ほどの早良親王の祟りを鎮めることと、この浄土信仰に加え、さらに太陽の動きや天文学も合わさっています。

古代中国では、お彼岸に太陽が沈む真西の方角に、極楽浄土があると信じました。(もちろん経典を根拠としています。)

太陽が東西へ一直線に動く春分や秋分に太陽が沈む方角こそが、浄土のある方角だとしたのです。

浄土真宗宗祖 親鸞聖人(しんらんしょうにん)へもっとも影響を与えた七人の高僧、そのなかの第四祖中国の道綽禅師(どうしゃくぜんじ)が『安楽集』という書物に、「日は東より出て西に入り、月も東より出て西に入る。天地万物みな西に入る。万物の終帰するところ、即ち我々の帰するところである。であるから浄土は西方にある。阿弥陀仏も西方へ浄土を建立されたのである」と書かれております。

このことから、太陽が真東から昇り真西へと沈む、春分の日・秋分の日は、この世(此岸)とあの世(彼岸)がもっとも通じやすい日と考えられ、故人を偲び手を合わせる日、自身も無事に成仏できるよう修行に励む日として成立しました。

以上、お彼岸の歴史を2つの観点からみました。

次は、自分自身がより良い来世を送るため彼岸期間中をどのように過ごせばよいのかについて書きます。

六波羅蜜

お彼岸の過ごし方については、だいたいの方がお墓参りやお寺巡りをするというイメージではないでしょうか。

それも間違いではありませんが、具体的な過ごし方というものが実はあります。

それは、パーラミタ、六波羅蜜(ろくはらみつ)の実践です。

まず、六波羅蜜についてみていきましょう。

以下引用:『岩波仏教辞典』第二版

大乗仏教において菩薩(ぼさつ)に課せられた6種の実践徳目で、<六度>ともいわれる。

すでにジャータカ(お釈迦様の前世の物語)や仏伝の一部で菩薩の徳目として強調されていたが、般若経(はんにゃきょう)系の初期の大乗経典がこれを集大成した。

1)布施波羅蜜(ふせはらみつ):財施(モノの施しをする)、法施(仏教を教える)、無畏(むい)施(恐怖を除き、安心を与えること)の3種。

2)持戒(じかい)波羅蜜:戒律を守ること。

3)忍辱(にんにく)波羅蜜:苦難に堪え忍ぶこと。

4)精進(しょうじん)波羅蜜:たゆまず仏道を実践すること。

5)禅定(ぜんじょう)波羅蜜:瞑想めいそうにより精神を統一させること。

6)智慧(ちえ)波羅蜜(般若波羅蜜):真理をみきわめ、悟りを完成させる智慧。

六波羅蜜の中ではこの智慧(般若)波羅蜜が肝要とされ、前の五波羅蜜はこれを得るための準備手段として要請される。

<波羅蜜>とはこれら6種の徳目の完成態をいう。

引用以上。

わかりやすくいうと

1)布施波羅蜜:見返りを求めず、他人のために惜しみなく主に3種の善行を施すこと。(モノを施す、仏教を伝える、安心感を与える)

2)持戒波羅蜜:戒律を守り、身を慎み、他人に迷惑をかけないこと。

3)忍辱波羅蜜:身に起こる災いを受け容れ、耐えしのぶこと。

4)精進波羅蜜:誠心誠意努力を続けること。

5)禅定波羅蜜:常に静かな心を持ち、動揺しないこと。

6)智慧波羅蜜:怒りや愚痴、貪りに捉われず、物事の真理を正しく見極めること。

本来、仏道修行完成の為の行法ですが、日常生活の中で既に実践されている項目もあるのではないでしょうか?

モノを施したり、安心感を与えたり、耐えたり、努力したり、冷静になったり。

これらの項目をより集中的に意識して行うのが彼岸期間中の過ごし方となります。

そして、仏教に触れ六波羅蜜を実践する機会をくださったご先祖様や故人様にも手を合わせること自体も修行となります。

浄土真宗のお彼岸

ひるがえって同じ仏教でも浄土真宗では異なった解釈をします。

それは、厳しい修行と戒律によって成仏できるという考え方を「自力聖道門」といいます。

わかりやすくいうと、自分が頑張った善行功徳の分だけステップアップし、悟りへの道が開かれていく考え方です。

上記した六波羅蜜(パーラミタ)はこの自力聖道門の考え方です。

この考え方から、追善供養(亡き人が少しでもよいところへ行けるようにする)の考えも生まれた訳ですが、浄土真宗は”阿弥陀如来という仏様のお力によってのみ救われる”(悟りへの道が開かれていく)「他力浄土門」という考え方です。

仏教では、薬師如来、大日如来、釈迦如来、多宝塔如来などたくさんの仏様がいて、それぞれ悟りへの道を手助けしてくださいますが、実は制約が色々とあります。

その中でもっとも制約・条件が易しいのが阿弥陀如来(無量寿仏)です。

この阿弥陀如来は「生きとしし生けるものを必ず救う」と誓われた仏様です。

その根拠は『無量寿経 巻上』というお経の中に
「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」

現代語訳

「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」

このように誓われました。

心から信じて、浄土に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏(南無阿弥陀仏)と称えれば悟りへの道が開かれていくというのは画期的です。

ちなみに、最後の文(唯除から後)に関して浄土真宗開祖の親鸞聖人は「ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」の意味を

「唯除五逆誹謗正法といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり」と見られました。

簡単にいいますと「阿弥陀如来がどれだけ悪いことかをよく知らせてくだる親心で、きちんと叱った後に皆救われていく」ということです。

この根拠が書かれている箇所は、阿弥陀如来の”四十八願”の中でも最重要”十八願”(本願)といって、”生前”に生きとし生けるものを必ず悟りへと誘い、”生前”に信心を賜ることにより極楽浄土へ導かれると教えています。

このように阿弥陀如来のお力(本願)をただ拝受することを「他力本願」といいます。(世間的に言う他人任せとはまったく意味が違います)

この本願によって「どのような悪人でも阿弥陀如来によって救われると信知するもの」は、亡くなった後すぐに極楽浄土にたどり着くとされています。

ですから、浄土真宗では自力聖道門である追善供養は必要とされていないのです。

浄土真宗の供養について詳しくは下記【】リンクをご覧ください。

【考察 浄土真宗に永代供養はない?!】

おわりに

では、最後に浄土真宗の彼岸期間中の過ごし方について書きますと

「今を生きる私が仏教に出会えたのは、故人様やご先祖様の死を通してであり、その死のお陰によって自力聖道門(六波羅蜜)のような修行ができなくとも、阿弥陀如来のご本願(念仏)によって救われていくという事実を信知するための期間。」

皆さまが仏教に出会う機会というのは、身内の死を通して法事を経験するという場合がほとんどではないでしょうか。

仏教の教えに生きて出会えるというのは、奇跡のようだとお釈迦様は仰います。

その機会を与えてくださったご先祖様に感謝し、同時に、日常生活に追われ修行もろくにできない私が西方極楽浄土へと無事に往生できるのは、阿弥陀如来のお陰であるということを心から信じる期間だったのです。

そのことをより学び実感するために是非、お寺やお墓に足を運んでください。

拙寺では
令和4年9月23日14時~15時頃まで 幸教寺本堂にて勤修いたしますので是非、ご参拝ください。

お墓やお仏壇に関する記事は下記リンク【】内をご覧ください。

以上、今さら聞けないお彼岸って何?でした。

【解説 墓も仏壇もいらない浄土真宗??】

【永代供養納骨壇 個別区画編】

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早17年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。