浄土真宗における水子供養について
最近、終活や永代供養に関するお問い合わせの中に「水子供養はできますか?」という質問がありました。
浄土真宗において水子供養はしないという一つの答えがあります。
しかし、それが一体なぜなのか?
そして、お悩みを持たれている方に拙寺がどのように提案をしているのかを書いていきます。
水子供養とは
流産や中絶、死産などを理由として、生まれる前に命が消えてしまった子どものことを、水子(泡子)といいます。
水子が安らかに眠れるようにと願うのが水子供養 です。
元気に生まれてくる我が子を見られなかった親の悔しさ、悲しみ、寂しさは計り知れません。
そして、望まれる命ではなかった時でも、親や家族の辛い思いを和らげるため、水子供養はあります。
ここではその歴史と役割についてみていきます。
水子が安らかに眠れるようにと願うのが水子供養 です。
元気に生まれてくる我が子を見られなかった親の悔しさ、悲しみ、寂しさは計り知れません。
そして、望まれる命ではなかった時でも、親や家族の辛い思いを和らげるため、水子供養はあります。
ここではその歴史と役割についてみていきます。
水子供養の歴史
今日の水子供養は昭和にできた比較的新しい概念です。
その理由については後述しますが、そもそも子供(胎児)専用に法要が営まれるということはあまりありませんでした。
昔は胎児も含めた子供の死亡率が非常に高かったため、お腹に子供が宿り、そして育つということ自体が大変だったのです。
その証拠が七五三です。
節目に成長を祝い、子供の長寿と幸福を祈願しました。
医療が発達した現代では、子供が育つこと自体特に珍しいことではありませんが、明治以前では子供が育つことが当たり前ではなかったのです。
その理由については後述しますが、そもそも子供(胎児)専用に法要が営まれるということはあまりありませんでした。
昔は胎児も含めた子供の死亡率が非常に高かったため、お腹に子供が宿り、そして育つということ自体が大変だったのです。
その証拠が七五三です。
節目に成長を祝い、子供の長寿と幸福を祈願しました。
医療が発達した現代では、子供が育つこと自体特に珍しいことではありませんが、明治以前では子供が育つことが当たり前ではなかったのです。
水子のたたりブーム
昭和45年から全国的に展開されてきた水子供養のブームの影響で、水子の霊が色々な障りをもたらすと言って、その供養をさせる寺院や宗教が盛んに流行し、テレビなどのマスコミにも水子除霊・水子慰霊などと称する霊能者たちまでが取り沙汰されました。
「水子を供養しないと祟(たた)られる」などと言う詐欺師が横行しましたが断じてそのようなことはありません。
祟るという考えはすべて自分自身が原因であるとお釈迦様は伝えております。
つまり、問題は全て私たちの心の中にあるのです。
逆に「周りで不幸なことが次々と起きている」と考える人たちの中には、水子に責任転嫁するように言いますが、これは大きな間違いです。
何か自分に都合の悪いことが起こると、すぐに水子のせいにするのは、自身の日ごろの行いに目を背ける行為です。
そればかりか、水子のせいにすることによって責任逃れをし、自身を正当化させようとする行為です。
このように、祟りなどと言う迷信に惑わされ、人の弱みに付け込んだ非常にあくどい「霊感商法」「不安商法」という宗教とは名ばかりの行為が過去にあったのです。
「水子を供養しないと祟(たた)られる」などと言う詐欺師が横行しましたが断じてそのようなことはありません。
祟るという考えはすべて自分自身が原因であるとお釈迦様は伝えております。
つまり、問題は全て私たちの心の中にあるのです。
逆に「周りで不幸なことが次々と起きている」と考える人たちの中には、水子に責任転嫁するように言いますが、これは大きな間違いです。
何か自分に都合の悪いことが起こると、すぐに水子のせいにするのは、自身の日ごろの行いに目を背ける行為です。
そればかりか、水子のせいにすることによって責任逃れをし、自身を正当化させようとする行為です。
このように、祟りなどと言う迷信に惑わされ、人の弱みに付け込んだ非常にあくどい「霊感商法」「不安商法」という宗教とは名ばかりの行為が過去にあったのです。
水子供養の役割
仏教では、母親のお腹に子供を宿した瞬間から生命の誕生と考えますので、水子といえども生命の尊厳という点からは人間と同じです。
よく年齢の数え方で数え年と言うのがありますが、仏教において満年齢よりも数え年を用いるのはココに理由があるのです。
お腹の中にいる時点で0歳、そして生まれたら1歳とカウントします。
抱きしめてあげること無く終わった命。
純粋に親として「何かしてあげたい」「供養したい」というお気持ちは十分に理解できます。
先ほどご紹介した祟りブームはあくどい霊感商法ですが、お寺としての本来の役割は供養とご遺族のケアです。
供養に関してはその概念と浄土真宗の教えにも触れるため少々話が長くなります。
そのためリンクを下記【】に貼っておきます。
よく年齢の数え方で数え年と言うのがありますが、仏教において満年齢よりも数え年を用いるのはココに理由があるのです。
お腹の中にいる時点で0歳、そして生まれたら1歳とカウントします。
抱きしめてあげること無く終わった命。
純粋に親として「何かしてあげたい」「供養したい」というお気持ちは十分に理解できます。
先ほどご紹介した祟りブームはあくどい霊感商法ですが、お寺としての本来の役割は供養とご遺族のケアです。
供養に関してはその概念と浄土真宗の教えにも触れるため少々話が長くなります。
そのためリンクを下記【】に貼っておきます。
遺族のケア
遺族のケアに関しては2つ
1つは、愛すべきはずだった子の死という辛い事実を受け入れ、その喪失を悼むために供養をします。
愛すべき子として認識されたとき、そこに必要なのは呪術などではなく、失った自己の一部に対する癒しです。
2つは、望まれない命であったにせよ、自身の誤った行為による命の喪失。
その罪意識の受け皿として供養は機能します。
また、このような問題は肉親に相談するのも難しいかと思います。
そんな時にお寺や僧侶はいるのです。
私の場合は、その誤った行為に対して必要以上に追及をしたり説教をしたりはしません。
そこよりも「今後どのように子供の死と向き合い、歩んでいきたいのか」を重視しております。
1つは、愛すべきはずだった子の死という辛い事実を受け入れ、その喪失を悼むために供養をします。
愛すべき子として認識されたとき、そこに必要なのは呪術などではなく、失った自己の一部に対する癒しです。
2つは、望まれない命であったにせよ、自身の誤った行為による命の喪失。
その罪意識の受け皿として供養は機能します。
また、このような問題は肉親に相談するのも難しいかと思います。
そんな時にお寺や僧侶はいるのです。
私の場合は、その誤った行為に対して必要以上に追及をしたり説教をしたりはしません。
そこよりも「今後どのように子供の死と向き合い、歩んでいきたいのか」を重視しております。
おわりに
「浄土真宗では水子供養はしない。」
この言葉がひとり歩きをしています。
供養は、もともとサンスクリット語のプージャーまたはpūjanā(プージャナー)といいます。
仏様、菩薩様、諸神などにお香、お花、燈明、飲食などの供物を真心をもって捧げることを指します。
人間が仏様方を供養するだけならば、「供に養う」とは書きません。
しかし、供養と書かれるのは仏様方から私たちを”養うはたらき”があるので供養というわけです。
それを浄土真宗では「阿弥陀仏からのご本願」といいます。
それを伝えるきっかけは何かというと「水子」です。
水子というかけがえのないない存在が、ご両親を、周りの人たちを仏教へと巻き込んでくれるのです。
仏教は堅苦しい言葉の羅列ではありません。
2500年前にお釈迦様という人物が「この思い通りにならない世の中を幸せに歩むためにはどうしたらよいのか?」を追及された教えです。
それを伝えるのが私の使命です。
ですから、当寺では名称こそわかりやすく「水子供養」としますが、本来の供養と癒しを当事者の皆様と共に実現し、供養させていただきます。
お悩みの際は仮名でも構いませんのでお気軽にお問合せください。
以上、浄土真宗における水子供養についてでした。
この言葉がひとり歩きをしています。
供養は、もともとサンスクリット語のプージャーまたはpūjanā(プージャナー)といいます。
仏様、菩薩様、諸神などにお香、お花、燈明、飲食などの供物を真心をもって捧げることを指します。
人間が仏様方を供養するだけならば、「供に養う」とは書きません。
しかし、供養と書かれるのは仏様方から私たちを”養うはたらき”があるので供養というわけです。
それを浄土真宗では「阿弥陀仏からのご本願」といいます。
それを伝えるきっかけは何かというと「水子」です。
水子というかけがえのないない存在が、ご両親を、周りの人たちを仏教へと巻き込んでくれるのです。
仏教は堅苦しい言葉の羅列ではありません。
2500年前にお釈迦様という人物が「この思い通りにならない世の中を幸せに歩むためにはどうしたらよいのか?」を追及された教えです。
それを伝えるのが私の使命です。
ですから、当寺では名称こそわかりやすく「水子供養」としますが、本来の供養と癒しを当事者の皆様と共に実現し、供養させていただきます。
お悩みの際は仮名でも構いませんのでお気軽にお問合せください。
以上、浄土真宗における水子供養についてでした。
投稿者プロフィール
- 住職
- 高校在学中に仏道へと入門し、早20年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。
最新の投稿
お知らせ2025.01.14本日発売 『親身に寄り添ってくれる十一人の僧侶図鑑』
お知らせ2024.11.3012月のイベント
法話2024.08.11お盆の文化を探る:浄土真宗における特別な意味と行事
ブログ2024.08.10墓石に込められた物語:世界の埋葬文化を探る