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お布施の金額っていくら?由来は?

今日、お布施といえば葬儀や法要の時に僧侶へお礼として渡すお金のことを指す言葉として認識されています。

お布施でお金を渡すのは今では当たり前ですが、そもそもお布施は仏教的にどんな意味があるのでしょうか。

失礼のないように形式や作法、金額に重きを置いてしまいその意味や歴史について知っている人は意外に少ないかもしれません。

ですので、今回はお布施のそもそもの意味や歴史などについて書いていきます。

お布施とは

お布施は、見返りを求めず僧侶に対して相応の施しをすることです。

それにより功徳を積んで過去の罪(業)を清め、来世により良い世界へと生まれ変わる輪廻転生(りんねてんしょう)というインド古来の考え方に基づいています。

また、過去世や来世のことのみならず、現世を生きる自分自身が物の執着をなくしていくという1つの修行法でもあります。

お布施は別名「檀那(旦那)(ダーナ、दान、dāna)」といい、他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことや、相手の畏れを取り除いてあげることなどその意味合いは多岐にわたります。

大きくジャンルを分けると

・有形のモノを施す財施

・無形のモノを施す無財七施

2種類あります。

それでは一つずつ見ていきましょう。

財施

財施とは、金銭や衣服食料などの財を施すことです。

現代においてお布施と言えばお金という考え方が多いようですが、実は食べ物や衣類なども該当します。

何故、お金なのかというと実は2500年前の古代インドにおいては既に貨幣が存在していて、お釈迦様がそれを許されたからです。

日本はご存じの通り資本主義中心の考え方で、仏具やお寺の維持管理もほとんどが現金です。(ある意味当然)

ですから現代においてお布施=お金という考え方は間違っていません。

ちなみに、お布施は寺院会計として扱われ僧侶の懐に直接入るわけではありません。また、非課税枠の多い分、税務署も厳しくチェックしていますのでご報告しておきます。

無財七施

上記、財施に対して無形のお布施、それが無財施です。

ここでは、その代表的なものをご紹介いたします。

一 知識や教えなどの法施(ほうせ)

僧侶が仏事において読経やお説教をしたり、仏教講座を開いたり、普段の会話の中で仏教について語ったりすること全てが法施です。
一般的にこの法施に対して、財施であるお金を寄付するという仕組みが今日のご法事です。
お布施に対してお布施で返す仕組みなので、サービス料や対価ではないといわれる所以です。

二  明るく優しい顔で接する眼施・顔施(げんせ・がんせ)

皆さまはご挨拶をするときどのようなお顔で接しますか?
多分、怒った顔ではしないでしょう。
優しい顔や眼差しは、それだけで人の心を明るくさせるものです。

三  温かいやさしい言葉をかける言辞施(ごんじせ)

何かに迷っていたり、失敗した時、逆に仕事で成功したとき、合格したとき心の底から相手の立場や気持ちになってかけてあげる言葉。
それ自体もお布施です。

四  恐怖を取り除き穏やかな心を与える無畏施(むいせ)

人間において最大の恐怖
それは「死」ではないでしょうか?
仏教では「生・老・病・死」という段階的な人間の苦しみを理解し、心をコントロールするという仕組みが教えの中に組み込まれています。
つまり、法施の内容そのものが無畏施であるということができます。

五  何かをお手伝いする身施(しんせ)

奉仕の心です。
道徳的には重要と頭で理解されながらも、現代価値としては疎んじられます。
しかし、奉仕もできない人間に成功(経済的な意味ではなく、人格の完成)などありえません。
お勤めや学業、趣味の時間を優先させたい気持ちは誰しも一緒です。
それでも、時間を割いて活動する身施にこそ、その人の功徳が備わるといえるでしょう。

六  善い行いをほめる心施(しんせ)

「いい人と思われたいだけだ。どうせお世辞に決まってる。やって当たり前だ。」このような言葉をよく聞きます。
何故、素直にその言葉を受け入れないのでしょうか?
何故、素直に感謝できないのでしょうか?
善い行いは周りを幸せにします。それに対して素直に受け入れ感謝しましょう。
そして心施として素晴らしい言葉を伝えましょう。

七  場所を提供する床座施・房舍施(しょうざせ・ぼうしゃせ)

電車などの乗り物で、小さい子供や妊婦さん、お年寄り、身体的障害をお持ちの方に席を譲っているかと思います。これを床座施。
宿を提供する(房舎施)というのは現代では少なくなりましたが、四国のお遍路さんなどでは行者さんに対して無償で宿を提供しております。
このような行為は、2500年前から善い行いとして伝えられ、何気ない対応がそのままお布施となっているのです。

お布施のルール「長者の万灯より貧者の一灯」より

現代においては、お布施=お金という認識が一般的なので相場などをネットで調べられる方が多いのではないでしょうか?
このようなサイトには書いていないでしょうが、実はお布施にはルールがあります。

その故事をお経からみてみましょう。

『阿闍世王授決經』(アジャセおうじゅけつきょう)原文

聞如是。一時佛在羅閱祇國耆闍崛山中。時阿闍世王請佛。飯食已訖佛還祇洹。王與祇婆議曰。今日請佛。佛飯已竟更復所宜。祇婆言。惟多然燈也。於是王乃勅具百斛麻油膏。從宮門至祇洹精舍。時有貧窮老母。常有至心欲供養佛而無資財。見王作此功德乃更感激。行乞得兩錢。以至麻油家買膏。膏主曰。母人大貧窮。乞得兩錢何不買食。以自連繼用此膏為。母曰。我聞佛生難值百劫一遇。我幸逢佛世而無供養。今日見王作大功德。巍巍無量激起我意。雖實貧窮故欲然一燈為後世根本者也。於是膏主知其至意。與兩錢膏應得二合。特益三合凡得五合。母則往當佛前然之。心計此膏不足半夕。乃自誓言。若我後世得道如佛。膏當通夕光明不消。作禮而去。王所然燈或滅或盡。雖有人侍恒不周匝。老母所然一燈光明特朗。殊勝諸燈通夕不滅。膏又不盡至明朝旦。母復來前頭面作禮叉手却住

「現代意訳」
私はこのように聞いた。
お釈迦様がマガダ国の耆闍崛山(ぎしゃくっせん)中にいた時、マガダ国国王阿闍世(あじゃせ)はお釈迦様に飲食を施して祇園精舍(ぎおんしょうじゃ)まで送った。

その後、王は祇婆(ぎば)大臣に相談した。

「今日、私はお釈迦様のお布施として飲食を接待したのだが、次は何を布施したらよいだろう?」

大臣は答えました「灯明がよろしいでしょう」

※補足(灯明は自らを燃やし周囲を照らすことから、自分の身を削って他人のために施す菩薩行の象徴とも言われる。お釈迦様は「自らを拠り所(灯明)とし、他人を拠り所とせず。仏法を拠り所(灯明)とし、他を拠り所とせず」と遺言したといいます。これは「自灯明・法灯明」という教えですが、灯明を用いた供養は伝統的に重要とされてきました。)

そこで王は、100石の麻油を、城門から祇園精舍まで届けさせました。

その道中、衣服の汚れた老女がいて、「私もお釈迦様を供養したい」と心から思っていたのですが、お金がなかった。

王はその老女が一生懸命に功徳を行おうとするのを見て感激し、老女にお金を少しあげました。

老女は喜び、さっそく油屋に行って灯油を買おうとしました。

すると油屋の主人が言いました。
「あなたはこんなに貧乏なのに、もらったお金でなぜ食べ物を買って命をつながず、灯油を買おうとするのですか?」

老女は言いました。
「お釈迦さまと同じ時代に生を受けられるのは、一生に一度もないと聞いています。私はそのような幸運を得ながら、供養ができませんでした。今日、王さまが大変な善行功徳(接待)をなされるのを見て、たとえ貧乏でも、後世根本のため一灯を施したいと決意したのです」

そのまごころを知った店主は、支払われたお金で買える油二合とは別に、倍以上の三合ほどをサービスしてくれました。

老女は釈尊の前に行き、五合の油を点灯しました。

老女は内心「この油では数時間しか持たないけれども、もし私が今後の人生においてこの行為によって成仏できるなら、この灯りが夜通し消えませんように」と願って立ち去られました。

すると王の点した灯明は、消えたり燃え尽きたりしたが、老女の献じた灯りは、周りに世話する者もいなかったのに、ひときわ明るく輝き、夜通し消えず油も翌朝まで尽きなかったそうです。

翌日、彼女はまたやって来て、お釈迦様に向かい面前で礼をして座りました。

その様子を見て、お釈迦様は弟子の目連に、明るくなったので灯りを消すように言いました。

言われたとおりに目連尊者は消していきますが、老女の献じた灯りのみ決して消えませんでした。袈裟で扇いでもますます明るくなり、神通力で猛烈な風を起こしてみたが、灯明はさらに激しく燃え、上は天空を照らし、横は世界の隅々までもことごとくその光で照らしました。

お釈迦様は目連に言いました。

「もうよい。これは仏の光明功徳によるもので、神通力などで消せるものではありません。この老女はすでに過去生において180億の仏を供養し、経法にて人民を教え導いてきたのですが、布施だけは修行する時間がなく、ゆえに現世では貧窮して財宝がないだけです。三十劫の未来において、功徳が満ち成仏した折には、この老女は須弥燈光如来という名の仏になり、その老女が仏となった世界では太陽も月もなくても人民はみな身中から光を発し、宮室は宝石の光明が照らしていることでしょう」

老女はこれを聞いて歓喜のあまり体が軽くなり、地上から天高く跳び上がって、戻ってくると釈尊の足元に頭をつける礼をして立ち去りましたとさ。

解説

登場人物のマガダ国国王アジャセ、大臣ギバ、お釈迦様、弟子モクレン等

いずれも経典によく出てこられます。

浄土真宗においては『観無量寿経』が有名です。

話の内容を要約すれば

「王の莫大な財産の一部を布施するよりも、老女のなけなしのお金の方が布施の価値がある」という現代的な価値観ではとても理解できないような内容です。
老女に聞いた油屋の主人の言うことがごもっともだと思いますが、ここにお布施のルールが隠されています。

それは「自分にとって価値のあるモノを提供する」というルールです。

すなわちお布施とは「モノの執着をなくす」という修行法であり、その自分にとって価値のある差(ここでは金銭)が多きければ大きいほど功徳も大きいということになります。

わかりやすくいうと

年収1000万の人が100万円寄付するのと、年収100万円に人が同額寄付するのと、どちらが功徳が大きいか?

答えは、年収100万円に人の方が大きいです。

つまり、年収1000万円の人が年収100万円に人と同じ功徳を積むには1000万円寄付をしなければならないということです。

「長者の万灯より貧者の一灯」では、このお布施のルールを理解するうえで非常に重要な教えといえるのでご紹介いたしました。

無論、全財産を投げうてとはいいません。

経済的理由も十分考慮しているつもりです。

ただ、お布施をされる際にはこの話を思い出して、「自分にとって価値のあるモノ(金額)」を寄付していただけたらと思います。

判断基準としての平均値

これまでお布施の意味とルールについて見てきました。

ただ、普段からお参りなどをする中で、上記理由をご説明させていただいているのですが、それでも「だいたいいくらい包めばいいでしょうか?」というお問い合わせは非常に多いです。

ですので、ここではあくまで判断基準としてのお布施の平均を「日本消費者協会」のデータを基に書こうと思います。

お布施の全国平均(四捨五入)

葬儀 55万円

お墓 154万円

樹木葬 73万円

納骨堂 94万円

法事 3~5万円

このようになりました。

いずれも宗教的行為における寄付ですので全国的にみても差があるのは当然のことです。

数字はあくまで1つの判断基準としてごください。

最後に

いかがでしたか?

お布施のそもそもの意味や歴史などについて経典を用いて解説いたしました。

決して安いとは言えないお布施の金額もご理解いただけたかと思います。

そして、今一度書きますが「お布施はサービス料ではありません」

ひとつの修行法ですので、思いや気持ちの籠った金額をご自身の為にも寄付していただけたらと思います。