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アナタの日常に瞑想を

長引く緊急事態宣言と、相反する感染者数にコロナ疲れもピークになっていませんか?

なかでも「外出をしないことが社会にとってよいことだ」という同調圧力が疲労をさらに加速させているようにも思います。

そこで今回は、物いらずで自宅でもできる「瞑想」について書いていきます。

まず、瞑想についての説明ですが、当寺HPより以下引用いたします。

最近よく聞く瞑想(マインドフルネス)とは、「今起きていることに意識を集中させる心のあり方」を指し、もともとは仏道修行の一環です。雑念を持たずリラックスして“今”だけに集中し、研ぎ澄まされた状態になること。あるがままの状態を受け入れるということからストレスはほとんどなく、自分の力をもっとも発揮できる状態でもあるわけです。


一般的に、私たちはそんなマインドフルな状態から程遠い場所にいます。1日の処理すべき情報量が増えると、なかなか心が休まる時間は持てません。また、頭の中では不安・否定・恐怖・評価・どうにもならない過去のこと・どうでもよいことなど、ずっと喋り続けています。一言でいうと「あれこれ考えすぎている」わけです。そうしていると、混乱して事実が見えなくなったり、否定的な声が大きくなってストレスが溜まったり、結果的にパフォーマンスが下がってしまったりします。


最新の脳科学では、マインドフルネスに「ストレス軽減」「集中力アップ」「乱れた自律神経の改善」などの効果があることが実証されました。この結果により、マインドフルネスがアメリカのGoogle・Facebook・インテル・マッキンゼーといった大企業の他、政府機関の研修に取り入れられるように。さらに、小学校などの教育機関で積極的に取り入れた結果、子どもたちのいじめや差別が減ったという報告もあります。マインドフルネスは、日本でもテレビや雑誌で特集が組まれるなど、今や世界的に大きな注目を集めています。

このように、科学的にも立証され、一流の企業にも取り入れられている瞑想が自宅でできるなんて魅力的ではないですか?

この瞑想を詳しくみていきましょう。

慈悲の瞑想

今回、皆さまにお伝えしたい瞑想は”慈悲の瞑想”です。
慈悲(愛)の瞑想とは、上座部仏教における瞑想の一種です。

上座部仏教(テーラワーダ)は簡単に言えば、スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスなどにある仏教で、日本に古来からある仏教は大乗仏教といってジャンルが大きく分かれています。

この上座部仏教における、瞑想は実はたくさんあるのですが、中でも”あるものごとに集中する”サマタ瞑想(止観)に入る際の40種類ある過程の中に、「慈・悲・喜・捨」の四無量心(しむりょうしん)と呼ばれるものがあり、それを簡便化したのが現代において広く行なわれている慈悲の瞑想です。

ちなみに瞑想でもう1つ有名なものに、洞察を鍛えるヴィパッサナー瞑想(観行)があり、サマタ瞑想とセットにして行なわれますが、仏教の精神をもっともよく表現した瞑想法としてきわめて重視されています。

四無量心

先ほど説明した「慈悲の瞑想」をするにあたって、簡便化したのが四無量心です。

四無量心とは(慈・悲・喜・捨)の4つからなる考え方ですので、1つずつみていきましょう。


・慈無量心  「慈しみ」 相手の楽を望む。
自分以外の生命に対して楽を与えることを望む心の働きです。
誰かに対して何かをしてあげたいという気持ちは誰もが持っているいるものではないでしょうか?しかし、「○○してあげている」「○○したのにお礼もない」など、見返りを求めることが前提となってはいけません。見返りを求めず、ただ相手の楽の為に尽すのです。ただ、ここでいう「楽」とは「仏法」のことを指します。一般的に楽とは、相手の欲(煩悩)を満たすようなイメージですが、そうではなくて、後に記す「苦」を仏法を用いて除いてあげることを「楽」といい、その行為が「慈」なのです。


・悲無量心 「憐れみ」 苦を取り除いてあげたいと思う心。
「苦」とは、苦しいという意味でも合ってはいますが、厳密には「世の中、自分の思い通りにならない」という自然の道理に反し、もがき苦しむ人間の姿を指します。その姿を「慈を用いて取り除きたいと願う心」の意味です。更には、苦しむ人の傍に寄り添いたいという意味もあります。

大乗仏教においては、この他者の苦しみを救いたいと願う「悲」の心を特に重視し、「大悲」ともいいます。そして、慈と悲はセットになっていて「欲にもがき苦しむ(苦)生きとし生けるものを、仏法(楽)を与えて救いたい」という心を「慈悲」または「抜苦与楽」といいます。


・喜無量心 「喜び」、相手の幸福を共に喜ぶ心。
生きとし生けるものの喜びにみずからも喜ぶ心を持つ心ですが、皆さまいかがでしょう?
自分の家族や友人ならば成功を共に喜べるでしょうが、会社の同僚や知人、見知らぬ人だったら「嫉妬」してしまうのではないでしょうか?
特に、あなたに対して害を与えたわけでもないのに、私たちは自分の立ち位置を図る(対比)ために他人と見比べてしまいます。その心理により生まれるのが嫉妬ですが、それらを客観視、あるいは元から自分に害のないものとして認識し、さらにもう一歩踏み出して、成功を分かち合うのが「喜」の心です。
難しいので最終段階で結構ですが、自分にとって苦手、嫌いな人の幸福も喜べるようになれば、あなたの心は今よりも格段に自由になっているはずです。


・捨無量心 「平静」、相手に対する平静で落ち着いた心。動揺しない心。
これは、無関心、閉鎖的で自分の世界にだけ閉じこもっているという意味ではなく、「慈・悲・喜」の心を用いて「どうすれば迷える人々の問題解決できるだろうか?」と仏教の智慧をもって客観視することです。

問題への解決策は客観的視点、日常であるならばデータ(数字)や、社外、他人から聞き取りを行うことによって導き出しますが、仏教では内なる自身の心より客観的視点を開眼していくのです。

以上、四無量心でした。

最後に

最後に、瞑想による効果をお釈迦様のお言葉をパーリ仏典中部の62番目経典『大ラーフラ教誡経』よりお借りいたします。

※ラーフラとはお釈迦様のご子息のことです。

以下引用

ラーフラ、慈(メッター)の瞑想を深めなさい。というのも、慈の瞑想を深めれば、どんな瞋恚(しんに)も消えてしまうからです。

ラーフラ、悲(カルナー)の瞑想を深めなさい。というのも、悲の瞑想を深めれば、どんな残虐性も消えてしまうからです。

ラーフラ、喜(ムディター)の瞑想を深めなさい。というのも、喜の瞑想を深めれば、どんな不満も消えてしまうからです。

ラーフラ、捨(ウペッカー)の瞑想を深めなさい。というのも、捨の瞑想を深めれば、どんな怒りも消えてしまうからです。

※瞋恚とは、自分の心にかなわないことに対し憎しみ憤る心の作用のこと。

このように、嫉妬や憎しみ、不満や怒り、残虐性という人間のマイナスの感情は、ことごとく瞑想により解決できるとされています。瞑想は特別な物、場所を選ばず行うことができ、なおかつ人間の精神面において素晴らしいメリットがたくさんあると認知していただけたのではないかと思います。

緊急事態宣言、まん延防止措置により自粛を余儀なくされていますが、負けずに生きて行きましょう。(お悩み相談お受けいたします)

今回のブログ以外にも「瞑想」に関して記載しております。
リンクを貼っておきますのでご覧ください。

以上、アナタの日常に瞑想をでした。

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投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早17年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。