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『御文章』疫癘章に学ぶ

御文章(ごぶんしょう)とは、本願寺第八代宗主蓮如上人(室町時代、1415年2月25日-1499年3月25日)が、布教の方法として全国の門徒に対して送った仮名書きのお手紙法語のことです。蓮如上人の孫の圓如(えんにょ)が、210通から80通を選び5帖に編集し、これを更に32通まで編集されたものが今日一般的に拝読されている御文章となります。その中の「疫癘章」(えきれいしょう)には、このようなことが書かれています。

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御文章

このごろ疫病が流行り、多くの人々が亡くなっておられます。しかし、人は疫病が原因で死んでしまうのではないのです。死ぬということは、生まれたときから定められており(定業)、それほど驚くことはないのです」 疫病による死は縁であって因ではなく、因は生そのものだというのです。これをお書きになられたのは、戦国時代の延徳4(1492)年6月のことで、疫病が流行して多くの人々が亡くなった年でした。この言葉は、「今私にあるこの命は必然によるものであり、それに感謝し、この先の人生においても大切に過ごすことが必要である」という意味が込められていると思います。

 なお、政府・自治体、医療の対策、国民の行動制限の取り組み等が無用であるということを言われているわけではありません。

 さらに御文には、そのような私たちに対しはたらきかけをしていただいているのが、阿弥陀様であり、私たちを救おうとしてくださっています。我利私欲の生活から逃れられず、自己中心的な考え方に陥りやすいこの私。思い通りにはならないため、不満や不安を抱えたまま生きていくしかないこの私を、「そのままの姿で救う」と。いかなる罪悪深重の者でも、いつでも、どこでも、だれでも救われるのが阿弥陀様のご本願です。生死の一大事を阿弥陀様におまかせし、お念仏の生活をすることで安心を取り戻し、感謝して日暮しをしてはどうかと言われているのです。 必ず訪れる死の縁は、阿弥陀様のお働きであるお念仏によって、死後も極楽浄土へと生まれさせていただける。また、親しい愛する人と再会できる(倶会一処)の世界があるのだと、お釈迦さまも親鸞聖人も蓮如上人もおっしゃられているのですね。「死んでも大丈夫だから、命のご縁が尽きるまで精一杯生きなさい」というメッセージを、「疫癘章」を通じて頂戴いたしました。

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養和の飢饉

投稿者プロフィール

石原 政洋
石原 政洋住職
高校在学中に仏道へと入門し、早17年以上携わっております。当寺ではあらゆる角度から仏教の素晴らしさをお伝えするとともに、仏教伝来より培われてきた伝統文化と健康を共有する「体験型」寺院を目指し活動しております。ライフスタイルの多様化により、葬送や納骨などの形式が変化している近年です。終活に関するご相談も随時承っておりますので、お気軽にご相談ください。